2ntブログ
2013-03-23(Sat)

tubuyaki13.03.23.

考えるな、幻想するんだ!
2013-03-22(Fri)

【ショートカットの美樹】失敗作

【ショートカットの美樹】失敗作
イメージでは少し写実的に色を着けて仕上げるつもりでしたが上手くいきませんでした。
よく考えれば美樹は写実ではありませんので上手くいく訳がなかったのでございます。
手法の誤りを悟り、先に発表しましたように鉛筆画で完成といたしました。
ただバックの暗い感じは、私の感性らしいと気付かされました。
エロは日陰の中で輝きを増すイメージがあるようでございます。
いずれにせよ、“美樹”にはずい分こだわる結果となりました。
2013-03-21(Thu)

tubuyaki13.03.21.

私がエロ絵に求めているものは現実からの逃避ではなく、現実からの解放である。
2013-03-21(Thu)

【壁紙・二人の美樹】

【壁紙・二人の美樹】
ここまで作り込むつもりはなかったのです。
単に自分のパソコン用に美樹を並べただけの画像を、
10分程度で作るつもりでございました。
ところが一体どうしたことでございましょう、
半日も掛けてここまで作り込んでしまいました。
皆様もどうぞよろしければ壁紙に使ってやってくださりませ。

***************

これを作りながら私は二人の美樹に犯される夢を見ておりました…。

私は両手を縛られ仰向けに寝かされて、
お尻をこちらに向けたツインテールの美樹に顔面騎乗を受けております。
フルバックの薄いパンティーに包まれたおまんこがちょうど私の口の所に、
少しかぐわしい肛門の部分が鼻の所に押し付けられています。
私は胸いっぱいに何度も何度も美樹の肛門の匂いを嗅ぎながら、
仄かにオシッコと下り物の香りがする薄いパンティーの布地に包まれた、
美樹の柔らかいおまんこを舌でいじったり口で吸ったりいたします。
感じやすい美樹は激しく喘ぎながら、
お尻をグラインドさせてぐいぐいと私の顔に押し付けて参ります。
私が窒息するのもお構いなしで。
そして体をベッタリと私に密着させ(ああ、その巨乳の感触!)、
破裂しそうに膨張している私の竿を貪るようにしゃぶり上げています。
ツインテールで童顔といってもいい可愛らしい顔をしていながら、
何という破廉恥な振る舞いでしょうか。

ショートカットの美樹は私の足の方に居て、
右手の中指を根本まで私の肛門に入れて前立腺を刺激しながら、
左手で竿を抑えて玉袋を吸い上げています。
ツインテールの美樹の玉門と菊門を味わいながら竿をしゃぶられ、
ショートカットの美樹には肛門と玉を責められて、
私は気が狂いそうなほどのエクスタシーの中で翻弄されております。
そしてショートカットの美樹が私に跨がり、
今までの人生で最高に怒張している私の竿を可愛いおまんこの中に飲み込みました。
彼女は快感に絶叫しながら、
カリがGスポットを刺激するように亀頭の先がPスポットを直撃するように竿の角度を調整しつつ、
激しく腰を振り続けます。

ツインテールの美樹が自分のクリトリスを手で無茶苦茶に刺激し始めました。
二人の美樹は私の上で接吻しながら愛し合っているようでございます。

あああ、ショートカットの美樹がいよいよ絶頂を迎えそうです。
両手を私の胸に突いて、はしたない格好で腰を激しく振っています。
ツインテールの美樹も指をヴァギナの奥深く差し込んで今にも達しそうでございます。
ふたりとも快感に呑み込まれながら我を忘れて大声で叫び始めました、
イクイクイクイク、と。

まずショートカットの美樹が逝きました。
私の竿の根本がキュウゥゥ、と痛いほど締まって竿全体に熱いものが迸ります。
次いでツインテールの美樹が体をガクガクとさせて私の顔の上に愛液をぶちまけます。
そしてほとんど同時に私が美樹の中に―彼女たちの体が私の上で跳ね上がるほど、
まな板の上の魚のように猛烈な勢いで腰を上下させながらありったけの精液を子宮の中に放出してしまいます。
あまりの快感でなかなか放出が収まりません。
ショートカットの美樹が気を失うように引きぬいたまだ射精が続く私の竿を、
ツインテールの美樹が引き継ぎフェラチオして精液を飲んでいるようです…。

それを私は、朦朧とした意識の中で感じているのでございます。
2013-03-19(Tue)

tubuyaki13.03.19.

エロ絵は生の謳歌である。
2013-03-19(Tue)

~二人の美樹~

この美樹の鉛筆画は気に入っている作品でございます。
ツインテールの美樹が元々の絵でございまして、
しゃにむにの掲示板にもアップした作品でございます。
気に入っているものですからいつか色を付けようと思い、
このブログでも発表するのをずっと控えておりました。
今回手を加えようとしてついショートカットにしてみましたら、
まるで別人のようになりましてこれはこれで可愛い。
私は美樹に恋をしてしまったのかもしれません。
どうにもこれ以上手が出せなくなりました。
不思議なものでございます、自分が描いた絵に恋心を感じるとは。
いつか色を付けるかもしれませんがこの二人の美樹、
この鉛筆画の状態でも完成作といたします。
2013-03-12(Tue)

日記~【快楽―この人間的なもの】③

我々にとって「快楽」は「本能」ではございません。
セックスはもう子孫を残すためだけの本能的行為ではなくなりました。
あえて表現するなら「快楽」は「文化」であります。
動物だった我々にとって獲物を得る死活問題な行為だったハンティングがそうではなくなったように、
殺しあう決闘がレスリングやボクシングになったように、
我々は交尾から「快楽」という文化を生み出したのでございます。
動物には欲情や快感はあるかもしれません、しかし「快楽」は人間だけのものでございます。
命や生存に関わる「本能」的なものに近いほど「動物」的と言えましょう。
エロな絵や文章を視たり読んだりして興奮を覚える―こんな「快楽」的なことは人間にしか出来ません。
何という事でしょう、我々は素晴らしく高度で文化的なことをやっているのでございます。
正直に言いまして私は今までずっと、
「これは腹の足しにもならない愚にもつかない下卑た本能に振り回されているだけの軽蔑されるべき下らない行為ではないか」
とどこかで罪悪感を感じながら春画を描いて参りました。
そんなことはなかったのでございます。
人間、そして自分というものをもっと真剣に深く洞察していれば辿りつけたのでございました。
これを読んでくださっている皆様、私の絵を愛でてくださる皆様。
これからも誇りと自信を持ってエロを愛そうではありませんか!


2013-03-10(Sun)

日記~【快楽―この人間的なもの】②

我々は大脳が発達して知能が高くなり衣食住に困らなくなってきて段々と「人間」になって参ります。
それはつまり生活、人生に余裕が出来て―寿命も延びて―「時間」を得ることでもあります。
そう、我々は「人間」になって本能だけに生きなくても良くなったのでございます。
外敵から身を守る家の中で食の心配もせず充分な時間の中でリラックスして行う交尾―。
これはもう交尾ではなくセックスではないでしょうか。
知能が高まり時間が出来た我々「人間」は本能以外の能力を伸ばさざるを得なかったのです、「暇つぶし」のために。
これは知能が高まった動物、人間の必然だったのでしょう。
私は男ですのでオスの観点でお話しておりますが「動物」だった我々にも、
メスに否応なく引きつけられ交尾するからにはメスに対する「欲情」と射精に伴う「快感」は間違いなくあったはずでございます。
これは食における空腹感と満腹感、便における便意と排便にあたる本能的な感覚でしょう。
我々は交尾から「欲情」と「快感」を抽出して培養し、本能から独立した「快楽」を手に入れたのでございます。
2013-03-08(Fri)

日記~【快楽―この人間的なもの】①

人間の性はもはや本能ではないとよく耳にしておりましたが、
ようやく私にもその意味が理解できて参りました。
**********
原始時代に戻ってみましょう。
我々がまだ「動物」だった頃でございます。
暑さ寒さに耐えながら獲物を一日中追い回していたことでございましょう。
いや恐らく毎日食べ物を口には出来ずにいつも空腹だったに違いありません。
動物だった我々はその一生を“生きるためだけ”に費やしていたのです。
そんな我々のセックス、いえ、交尾はどのようなものだったでしょうか。
発情期があり純粋に子孫を残すだけが目的の交尾。
他の猛獣たちから襲われないように注意を払いながらの交尾。
そこには「人間」である我々が感じている「快楽」などは存在しなかったのではないでしょうか。
とてもそんなものに耽る余裕など無かったのではないか、
そんなことは“本能的に”許されなかったのではないか―そう思うのでございます。
2013-03-06(Wed)

わいせつについて~【“猥褻(わいせつ)”の定義】③

私がなぜエロの要素である猥褻性にこんなにこだわるかと申しますと、
現実に私自身が犯罪者となる可能性があるので、
エロ創作をする上で法的な「わいせつ」の意味を知る必要があったというのがまずありました。
が、それとは別に、
エロあるいはエロスにとってこの猥褻性がもっとも要だと感じるからでございます。
そしてそのエロスの猥褻性がなぜ忌み嫌われ羞恥心を呼び起こしそれゆえ罪悪視されるのか―
この不可解さが私をこだわらせるようなのでございます。
そしてその「わいせつ」ゆえに創作を規制あるいは弾圧される理不尽が我慢ならないのでございます。
もしかしたらエロのことが(私自身も含め)よくわかっていないので、
恥ずかしいから悪!と、その自分が感じる羞恥心と対峙せず「わいせつ」などという言葉を被せているのではないかとさえ思うのです。
精神分析のフロイト博士が看破したように、エロスは人間精神を支配する底知れぬエネルギーでございます。
このエロを創作のテーマにするからにはよほど腹をくくって掛からなければなりますまい。
ですのでそう考えている私にとっては「わいせつだから罪悪」という感性がまったく理解できないのです。
どうやらこれから先、まだまだ「わいせつ」とやらと付き合っていかなくてはならないようでございます。


2013-03-05(Tue)

わいせつについて~【“猥褻(わいせつ)”の定義】②

私は思うのですが、もともと“わいせつ”などというものは定義など出来ないのではないでしょうか。
上の三要件のうち特に「善良な性的道義観念」というのが分かりません。
エロに善良な道義観念、邪悪な道義観念などがあるのでしょうか。
それからよく耳にするのが「これはエロか芸術か」という言葉で、
裁判などではそれが争点になる場合も多いようでございますが、
この“芸術”というやつもわいせつと同じぐらいに定義不能なあやふやなものでございます。
以前にも書いたことがございますが私はミュシャの作品はエロだと思っております。
エロスとかエロティックという表現ではなく、まさしくイヤらしいスケベなエロ、抜けるエロさという意味でございます。
また逆に江戸春画などは美しいと思うのですが世間的には“わいせつ”の烙印を押されているようでございます。
街を歩くミニスカートの女性は「徒に性欲を刺激・興奮」させていますし、
SEXは二人だけで隠れてすれば愛と讃えられますが街なかでやれば「普通人の正常な性的羞恥心を害する」行為に変わります。
このような、個人個人の感性やその時の状況次第で変化する“わいせつ”などという正体不明なものは、
どだい定義付けなど出来ないと思うのでございます。
“芸術”も定義することは不能と申しました。
しかし定義できないからこそ、決まった「枠」がないからこそ芸術は芸術足りえるのでございます。
エロにもそれに共通するものを感じます。
決まった枠などに一切はめることができない底の無さがエロスの力と可能性ではないでしょうか。
このようなものを枠にはめ込もうと定義付けするなど愚かなことだと思うのでございます。
2013-03-03(Sun)

わいせつについて~【“猥褻(わいせつ)”の定義】①

「わいせつ」とは何か?
つまり日本において法の下に処罰されるところの猥褻性のことであります。
もっぱらネット上ではありますがいろいろ調べておりますと、
わいせつの定義として3つの要件があることを知りました。
もちろんこれは法的な意味でございます。
この「わいせつ三要件」が生まれたのは1951年、
「サンデー娯楽事件」といわれる裁判での事だということでございます。
以下、ウィキペディアから。

************************
―サンデー娯楽事件―
サンデー娯楽事件(サンデーごらくじけん)とは、
俗に「カストリ雑誌」と呼ばれた粗悪な娯楽雑誌の一つ、「サンデー娯楽」のわいせつ性が問題となった事件である。
最高裁は、1951年(昭和26年)5月10日、この事件で、
《徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する》
文書が刑法175条の猥褻文書であるとする基準を採用し、
「サンデー娯楽」のわいせつ性を肯定した(刑集5巻6号1026頁)。
************************

つまり「わいせつ三要件」とは、

 1.徒に性欲を刺激・興奮させること
 2.普通人の正常な性的羞恥心を害すること
 3.善良な性的道義観念に反すること

ということなのでございます。
私は初めこれを読んだとき、
正直に言いまして何のことやらさっぱり分かりませんでした。
いえ、正確に表現しますと、
「わいせつ」というものがボンヤリとぼやけて感じられたのでございます。
どうでございましょうか、
随分と抽象的で場合によってどのようにも解釈できる表現だと思われないでしょうか。
私はこの時の最高裁裁判長が力不足だったとか法的に平等性を欠いていたとか思いません。
逆にこのあやふや性は正直な表現だと思うのでございます。
2013-02-26(Tue)

わいせつについて~【刑法第百七十五条】③

真面目な話、いま私の部屋に警察が踏み込んできてパソコンその他を押収され、
裁判で私の作品が“わいせつ”であると判断されたら私は犯罪者となるのでございます。
しかし今の段階ではおそらくそういうことはないだろうとは思っております。
エロ画を描いてネットにアップしている人はおそらく何万とおられるでしょうし、
IT関係だけでなく雑誌やAVその他も対象なのですから私のような小さい個人に手を掛けることはないと思われます。
ただ図象として性器を描いておりますから、何らかの理由で逮捕される可能性はあります。

この条文においてもっとも重要なのは「わいせつな」という言葉でございましょう。
罪に問われるかどうかは、対象となるものが「わいせつ」かどうかに掛かっているのでございます。
「わいせつ」とは何なのでしょう?
「わいせつ」はそんなに罪悪なのでしょうか。
そうだとしたら「わいせつ」の何が罪悪なのでしょうか。
エロそれ自体が罪悪ならSEXは最大の罪でございます。
本当に私にはエロの何が罪悪なのか、さっぱり分からないのでございます。


2013-02-24(Sun)

わいせつについて~【刑法第百七十五条】②

改正後の刑法175条は―つまり現在適用されている刑法175条は、
私のようにパソコンでエロ画を描き、それをネットにアップしている者つまり、
“わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列”している者にとって、
ドンピシャリの条文なのでございます。
他人事ではございません、「オレはエロ画なんか描いてないから大丈夫」という貴方、
“電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した”つまり、
パソコンで何か“わいせつ”な絵、文章、写真などを送信したことはございませんか?
あるなら同罪でございます。
「オレはエロなんか創作してないし他人のものであれエロを送信したこともない」という貴方、
第2項“前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した”つまり、
パソコンの中にエロを保存したり“わいせつ”なモノを所持しておりませんか?
私の作品をダウンロードしているなどもっての外でございます。
“有償で頒布する目的”ではないから大丈夫?
本当にそうでしょうか?
売るつもりがなかったと、どうやって証明できるのでしょうか。
読んでお分かりでございましょうが、条文というものは抽象的でいかようにも解釈できるものなのでございます…

…と、もちろんこれは少しオーバーに書いておりますがしかしあり得ないことではないのです。
2013-02-23(Sat)

わいせつについて~【刑法第百七十五条】①

いわゆる“わいせつ罪”のうち、
私などエロ創作者にとってもっとも重要になる条文でございます。
刑法の百七十五条《わいせつ物頒布(はんぷ)等の罪》でございます。
(わいせつ物頒布等の罪には、わいせつ物頒布罪、わいせつ物陳列罪、わいせつ物販売目的所持罪が含まれる。
頒布とは有償・無償問わず、不特定多数への交付を意味する。
「公然と陳列」するとは、不特定多数が認識できる状態にすることを意味する。
販売目的所持とは、販売目的で自己の支配下に置くことを意味する。―ウィキペディアより)

この条文は平成23年に改正されております。

******************
刑法第百七十五条 (わいせつ物頒布(はんぷ)等)

改正前:
「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、
2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。
販売の目的でこれらを所持した者も、同様とする。」

改正後(平成23年7月14日から施行): 
「(第1項)わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、
2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
(第2項)有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。」
******************

改正前と改正後の何が違うかは一目瞭然でございましょう。
そう、もっぱらコンピューター、ネット、IT対応の改正でございます。
2013-02-17(Sun)

【少年に後ろから母乳を絞られる若妻】

【少年に後ろから母乳を絞られる若妻】
これは少し以前に描きましたまだ自分のマンネリズムに苦しんでいた時期の作品。
下描きで放り出していたものを復活させたものでございます。

**********

ついに自分を抑えることが出来ず後ろから若妻に襲いかかってしまったのは中学生の少年。
場所は同じマンションの隣、若妻宅の部屋でございます。
性に目覚めて2年、妄想で頭がいっぱいのこの少年に、
隣の若妻が夜の声を毎夜聞かせるのですから酷というものでございますね。
そして今日はこの若奥さん、牛の模様にも見えるタイトな服装で学校から帰宅した少年の目を惑乱いたします。
子供を産んだばかりの、母乳ではち切れんばかりに膨らんだ巨乳。
タイトなスカートを破らんばかりの巨尻。
理性を失った少年は御近所の気安さを装い「赤ちゃんを見せて」と若妻の部屋に上がり込み、
そして突然襲いかかります。
右手でTバックのパンティーの後ろから若妻の秘所に中指を挿入、
締め付けてくる熱い蜜壺の中をかき回し、
左手で掌からはみ出す巨乳を揉みしだき大きな乳首をまさぐり、
そして母乳を絞り出します。
若妻は拒絶するどころか喘ぎながら自らその巨尻を少年の方へ突き出します。
どうやらこれは若妻の思う壺だったようでございます。
ただこの少年の童貞を奪うはずだった若妻の思惑は外れました。
なぜなら少年は堪らずこのままズボンの中でイッてしまったのですから。

**********

どうでございましょう、私はこのような妄想をいたしましたが皆様はいかがでございましょうか。
ご自分に合った飛び切りいやらしいストーリーを考えてこの絵を愛でて頂ければ嬉しゅうございます。
2013-02-15(Fri)

日記~【妄想現代エロ画展】

昨日はずいぶん暖かかったのですが本日は一転、
とても寒うございますね。
皆様に於かれましては風邪など引かれませぬよう。
あと少しで春でございます。
さて、先日の日記のせいで「現代エロ画展」の妄想が膨らんでしまいました。
今夜はその私の夢を。

**********

その美術展では上等の美酒と料理も味わうことが出来ます。
いえ、客達はテーブルに着いて料理と酒を味わい、
感想や批評をしながら絵を観るのです。
何という至福でしょう。

「君、あのA氏の作品を見給え。あそこに描かれた熟女のヒップが僕は大好きなんだ。
あのライン、あのボリューム、あの質感。中国の壺に勝るとも劣らない美しさだ」
「まったく熟女の尻にかけてはA氏の右に出るものはいませんからね。
ところで私はB氏の柔肌の表現が最近気になっています。
何だか光り輝いているようで、レンピッカや藤田嗣治を超えていると思いませんか?」
「オレは断然C君の抽象表現が気に入ってるんだ。
カンディンスキーは音楽を抽象絵画で表現しようとしたが、
今まで抽象的に表現されて尚且つ最高にエロいなんて絵画があったかい?」

どうでしょう、こんな素晴らしい展覧会に参加してみたいとは思いませぬか。
しかしエロがエロである限り、まず実現は無理なように思います。
エロは深層心理に触れるもの、そのために社会からタブー視されていると私は考えております。
エロは日陰の存在。
いやしかし…ならば日陰でなら実現できるのでは?
いえ、もうすでに実現されているかもしれません。
参加者はハイソな人物ばかりに違いない。
そしてあの大物も…
いやいやこれ以上の妄想はもう止めておきましょう(笑)

************

こんな話を書いておりましたらふとこの言葉を思い出しました。
「うつし世は夢。夜の夢こそまこと」―江戸川乱歩


2013-02-11(Mon)

日記~【わくわくドキドキ、そしてエロ】②

ただのもろ出しのそのまんまなエロではなく、
その人がどのようにエロを表現しているのか、どんな表現をされたエロがそこにあるのか―。
そこに興味があるようなのでございます。
そしてそのように表現されたエロ、人によって捉えなおされたエロ、
それこそが「エロス」なのではないか、そう思ったのでございます。
ですからそこに表現されたものがどんなに下劣なエロであっても人によって表現された創作物ならすべからく、
それはエロスであると言っていいのかもしれません。
美術館で例えば「現代風景画展」といったものがあっても私は、
「いったい“風景”が作家たちにどのように表現されているのだろう」などという興味は微塵も持ちませんが、
「現代エロ画展」があれば飛んで参ります。
そこにはきっと様々な作家たちによる「エロスの饗宴」があることでしょう。
風景画展ならたぶん、観賞者の興味は風景ではなく作家の方にあるのではないでしょうか。
客達は描かれた「風景」を見たいのではなく「作家の作風」を見たいのです。
エロ画展なら、もちろん作家たちにも興味はありますがそれとは別に「エロス」に興味があると思われませぬか。
様々な作家たちにエロがどう表現されて「エロス」と変貌しているか。
考えただけでわくわくドキドキするのでございます。

現在、一枚の絵を描いておりますが、
「スタイルを変えるのではなく、追求する」と悟ったので時間を掛けてじっくり描いております。
我ながら今までとは違う出来になっていると思います。
今までは少しでも早くアップするために突っ込んで描き込んでなかったと気付きました。
早描きは早描きの良さもありますが。
今しばらくお待ちください。
皆様にこの作品がわくわくドキドキしながら待って頂けたなら望外の幸せでございます。


2013-02-09(Sat)

日記~【わくわくドキドキ、そしてエロ】①

めっきり、わくわくドキドキすることがなくなりました。
子供の頃はおもちゃの箱を開けるとき、いつもわくわくしたものでございます。
テレビでお気に入りのアニメを観る時は番組開始のカウントダウンをしておりました。
思春期になって小説を読むようになれば、
大好きな作家の新しい本を開くとき「ここには何が書かれているのだろう」と凄い期待感に包まれたものです。
そんな活き活きとしたわくわくドキドキ感が私の場合、エロに関してはまだ残っております。
それは現実の女性との関係にではなく、エロに関する創作物に対してなのでございます。
例えばAVのパッケージを開ける時、また、エロ雑誌のページを開く時。
そしてエロ画を視る時。
エロ創作物に対するこれら好奇心は他のものとは少し違う、
心の本性から来る野性的なと言っていい好奇心のようにも思えるのでございます。
それはただの助平心でもありませぬ。
興奮はそのあとに来るものでございまして(AVの場合ならそれを観ている最中)、
わくわくドキドキはその前、それを知る前の心の状態であります。
なぜ自分がエロ創作物に特別なわくわく感を持つのだろうかと考えました。
そしてそれは「この作品(作者)はエロスをどんな風に表現しているのだろう」という興味だと気付いたのでございます。
2013-02-01(Fri)

日記~【自分の絵のスタイルを変える必要はない、と教えてくれたピカソ】②

だからピカソはモチーフやテーマに束縛されず自由にスタイルを変えれたのではないか。
いや、変えることが必然だったのだ、「絵」のために絵を描いているのだから。
そう考えたとき目の前が開けたような気がいたしました。
私はピカソと違って「エロ」が描きたい。
私は自分のエロスを表現するために絵を描いているのだ。
そのエロスを最高の形で表すのが私の絵なのだ。
だからスタイルなどもともと簡単に変えられるわけがなかったのだ、
自分のエロスを表現するために常に全力を尽くしているのだから―。

そのとき私は、自分の絵のスタイルを無理やり変える必要などない、ということに気付いたのでございます。
おそらく私は自分の絵のマンネリズムから逃げていたのでしょう。
絵のスタイルを変えればそれが解決できると浅はかにも考えていたのでございます。
マンネリを打破するためには逃げていたのでは何も変わらない。
元に戻ってただ無自覚に描くのではなく、自分の絵のスタイルを「追求」しよう、と思いました。
するとまるで、それまで自分の絵に背を向けて逃げていた自分が、
くるりと絵に向かって突き進んでいくかのように感じられたのでございます。
ピカソについて私が考えたことは全然見当違いの的外れかもしれません。
しかしそれでも構わないのです、現に私はそのお陰で進むべき方向を見出したのですから。

澁澤龍彦『快楽主義の哲学』にアンドレ・ジイドからの
「幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福が僕の中に棲みはじめた」
という引用文がございます。
自分の絵のスタイルから逃げずに追求していったなら、
「絵のスタイルを変える必要なんかありはしないと気付いた日から、僕の絵が変わり始めた」
となる可能性もなくはない、と思うのでございます。


2013-02-01(Fri)

日記~【自分の絵のスタイルを変える必要はない、と教えてくれたピカソ①】

数ヶ月前から自分の絵にマンネリを感じてそこから脱却したいと悩んでおりました。
この、マンネリに対する嫌悪感は私の絵を視ていただく方々に対する気遣いなどではなく、
私自身がただただ自分の絵に絶望に近いものを感じていたのでございます。
最近も何枚か絵を描きましたが、「また同じだ」という思いから下描きの段階でペンが止まってしまいました。

昨夜のことでございます。
深夜に目が覚めてまた悶々と絵のことを考えておりました。
なぜ自分の絵のスタイルが変えられないのか―。
ふと何となく、めまぐるしい程に絵のスタイルを変えたピカソのことを思い出しました。
ピカソはなぜあれほどに絵のスタイルを変えたのか、変えることが出来たのか―。
そして思ったのでございます、ピカソは絵のための絵を描いていたのではないだろうか、と。
ピカソの絵を観ていると、
造形的な革命や実験的な描き方をしているとは思いますが描いているモノは、
人物画、静物画、闘牛、空想画などなど雑多で、
「これが描きたい」というものが無いように感じられるのでございます。
女やバイオリンなどの対象(モチーフ)はただピカソの絵の実験のための生贄であって、
ピカソにとって大事なのは「絵」そのものだったのではないでしょうか。
2013-01-22(Tue)

日記~【エロと美と生と死と】③

他の分野のアート作品は埒外にして春画に限って申しますと、
一級の春画は大抵とても美しいものでございます。
逆に美しくない春画は不思議といやらしさを感じないものでございます。
自分の事で恐縮ですが私は春画を描いているとき、
作品の中に美を追求してはいるのですが同時に、
死の恐怖から逃れてそこに「極楽」を求めているような気もするのでございます。
つまり春画には美とそして、
生と死を感じさせる宗教的なものを表現する要素が強いのではないか―。
そこを見失わないようしっかりと見つめながら描いていきたい。
そしてそこまでの作品を必ず描いてみせる―。
と密かに野望を抱いている歓喜天翁でございます。


2013-01-20(Sun)

日記~【エロと美と生と死と】②

夜の空に輝く星を見て美しいと思う。
とても夜空の星が「いやらしい」とは思えませぬが、
「美しい」と感じているその気持は何やらエロティックな欲動に通じるものがありはしないか。
ギリシア神話のアフロディーテが美と性愛の神であるところをみても、
この二つは非常に近似な存在であると人々は直感してきたのではないでしょうか。
女性のいやらしさ(性愛)は命を生み出す。
命あるところには死が存在する。
女性のいやらしさ、
つまりエロスには「美」と「生」と「死」が内包されているのではないでしょうか。
2013-01-19(Sat)

日記~【エロと美と生と死と】①

たまに、それこそ何年かに一度ぐらいでございますが、
体のラインがとてもエロティックな女性を見かけることがございます。
全体のボリュームとか比率とかあるいは動きとか、
総合的なものの結果そう見えるのかも知れませぬが、
印象としましては体の線そのものがエロさを発散しているように感じるのでございます。
そしてまた、エロいはずなのにただただ美しさを感じる瞬間もあるわけでございます。
50年ほど前、かのマリリン・モンローの体のラインを写した雲型定規が作られ、
そのラインをモンロー曲線と言って建築設計を中心によく使われたそうでございます。
男を欲情させ発情させ助平な気持ちにさせ狂わせる、
卑猥で猥褻で淫猥でいやらしい女性の体は同時に美の塊でもあるのでございます。
別の何かではなく女性の体のいやらしさそれ自体が同時に美なのでございます。
それならばこうとも言えるのではないでしょうか、
― 美の本質はいやらしさである、と。
2013-01-14(Mon)

【未使用下描き】#36(八重鈴破爪図)

【未使用下描き】#36(八重鈴破爪図)
これは先の【若女将と大物政治家】と同時に描いた作品でございます。
両作ともいつものサイズの倍、用紙を二枚貼り合わせて描きました。
これは八重鈴という15才の舞妓が、お唄のお師匠に処女を奪われるという絵でございます。
新境地だったのですが…現在の私はこの絵に負けたようでございます。
2013-01-09(Wed)

わいせつについて~【表現の自由】③

何度か書いたことでございますが、
私はほとんど性の目覚めと同時にエロ画を描いておりました。
初めは小さなメモ用紙に描いては捨て描いては捨てておりました。
描く度に「もう二度と描くまい」と誓ってはまた描きを繰り返してきたのです。
当時はただ忌まわしい性癖と思っておりましたが、
今はそれが止むに止まれぬ自己表現だったと感じるのでございます。
絵に限らず表現物というものはそれを作成した者の命に等しいと私は考えております。
ですから他人がある作品を力づくで破壊したなら、
それは作者の命の一部を殺すに等しい行為と言えるのではないでしょうか。
人間のする表現において「規制されなければならない表現」など無いのです。
いったい「わいせつ」とは何なのか。
エロをテーマに表現する人間としてこれは知らなければならない、
また、考えるべきことだと思うのでございます。
2013-01-09(Wed)

【若女将と大物政治家】

【若女将と大物政治家】
ここは人里離れた知る人ぞ知る温泉宿。
名だたるVIPたちの御用達。
離れに作られたVIP用の小さな露天風呂。
そこで宿の仲居たちがお相手申す。
しかしながらの訳あり宿。
超大物には美人若女将のご相伴。
今日も名前は言えぬが大物政治家が、
この風呂の名物、
魔羅に似させて彫らせた張形を、
若女将にしゃぶらせながら後ろから、
その張形並みの己が一物、
女将の玉門にグイグイと差し込み、
温泉しぶきを立てながらパンパンと、
その大きく丸い美尻を突き回す。
堪らず叫ぶ若女将、
喜悦の絶叫ヨガリ声、
周りの山里こだまする。

**************************

以前書きました大物政治家に犯される若女将の図でございます。
この一枚を描いているうちに構想が膨らんでしまい、
数枚からなる絵物語とすることにしました。
ですのでこれは未完成といえるかも知れませぬ。
紅葉の季節が舞台ですので今年の秋までに完成させられれば、
と思っているのですが果たしてどうなりますやら。
2013-01-08(Tue)

わいせつについて~【表現の自由】②

エロの何が悪いのでしょうか。
窃盗や殺人それ自体に罪悪性があるように、
エロの猥褻性それ自体に何らかの罪悪があるならSEX禁止令を出さずばなりますまい。
しかしSEXは禁止ではない。
ということはエロ自体ではなくその見せ方に問題があるのでしょうか。
確かに渋谷の街なかでSEXをすれば公然わいせつです。
しかしネット上でのいわゆる「わいせつ物」も取締の対象です。
ここが私の一番気になるところなのでございます。
実は私もまだわいせつについては端緒に就いたばかりで、
これは勉強と同時進行のエッセイでございます。
まだ何も知らないのですがしかしどう考えても、
女性の美しさやエロスをそれが「わいせつ」だからと表現する事が許されない、
などということはあってはいけないこと、理不尽なことと思えて仕方がないのでございます。
プロフィール

歓喜天翁

Author:歓喜天翁
FC2ブログへようこそ!
自作のエロ画春画を中心に、その他エロに関わることを載せていく所存でございます。
貴方様の心の憩いの場になりましたら嬉しゅうございます。
Email address:kanki330-tennou@yahoo.co.jp

アルバム
歓喜天翁平成春画帳
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
FC2カウンター
リンクブログ様
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR