2014-12-23(Tue)
《ろくでなし子さんの「まんこ」発言に裁判官「それ以上続けると意見陳述制限します!」》
http://www.bengo4.com/topics/2464/
12月22日、東京地裁で「勾留理由開示公判」が開かれ、
ろくでなし子氏が意見陳述を行われたようでございます。
詳しくは上の記事をお読み頂くとして、
その記事内にもアップされている氏の意見陳述書を再録させて頂きたく思います。
氏のタブーに対する疑念や理不尽感や怒りがよくわかる内容でございます。
また、氏が「まんこ」と発言すると裁判官が制したようでございまして、
この一件でも氏の自由さと体制側の狭小さを強く感じるのでございます。
体制というものは我々の一体何を恐れているのでしょうか。
彼らはなぜ「自由」になれないのでしょうか。
私にはまったくわからないのでございます…。
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『ろくでなし子氏の意見陳述書』
平成26年12月22日
東京地方裁判所裁判官殿
ろくでなし子こと五十嵐恵
私は、事実関係については争っていませんので、何故勾留されるのかわかりません。
また、証拠隠滅のおそれと言いますが、私は私の活動をはじめて以来、自分のブログやTwitter、Facebook等で大々的に宣伝してきました。今更、隠滅の仕様がありません。
逃亡のおそれとありますが、私はむしろ私の作品がわいせつではないことを裁判で堂々と証明したいのです。逃亡する気など更々ありません。
付け加えますと、私は自分の体の一部にすぎない「まんこ」が何故日本では悪いもの、汚らわしいものとして嫌われ、
「まんこ」という三文字を口にするだけでも怒られたりおそれられたりするのか疑問に思い、この活動をしてきました。
同じ性器でも、男性の「ちんこ」はOKなのに、女性の「まんこ」はTVでタレントが口にしただけで番組降板にされる。おかしいと思います。
私は自分が作品を作れば作るほど、人が生まれてくるこの場所だからこそ、むしろ大切にすべきなのに、
その逆の扱いをされることに怒りを覚え、その怒りをバネに、楽しく明るいまんこ作品を作ってきました。
だから私の作品はまんこをかわいくデコレーションしたものや、ジオラマを乗せた愉快なもの、iPhoneカバーやボートなど、楽しく笑える作品ばかりです。
そうするうちに、私の活動を応援してくれる人たちがどんどん増えてゆきました。
ですから、私の作品などを「わいせつ」と決めつける警察にとても驚きましたし、納得がいきません。
もう一度言いますが、私は、事実関係は全てお話ししていて、わいせつ性以外を争うつもりはありません。
私は断じて証拠隠滅をすることもないし、逃げることもありません。はっきりと誓います。
私は私の作品は「わいせつ」ではないという事を裁判によって堂々と証明したいのです。
なのにこうして勾留されていることについて納得いきません。
裁判官におかれては、どうか私の言葉を信じて、考えを改めて下さいますようお願いを致します。
最後になりますが、傍聴に来て下さった皆様には、お忙しい中、私の勾留理由開示を傍聴しに来て下さり、本当にありがとうございます。
以上
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2014-12-11(Thu)
この事件について調べているうちに『週刊金曜日』編集長名義の抗議文に行き当たりました。
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《『週刊金曜日』、ろくでなし子さんと北原みのりさんの逮捕に抗議》
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=4860
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私はこの週刊誌を読んでいませんので、なし子氏がどのような内容の漫画を連載していたのか分かりませんがおおよそ見当は付きます。
逃げも隠れも証拠隠滅もしていない、また、新たな犯罪?を起こしたわけでもないなし子氏をなぜ再逮捕するのか疑問でしたが、
この抗議文を読んで「さもありなん」と合点が行ったのでございます。
いや、もちろん別の理由の可能性はあるのでございますが、
なし子氏が警察を批判的に描いたせいで再逮捕の憂き目に遭ったと考えるより他に私には理由が見つかりませぬ。
警察の方々はボンクラな私などよりはるかに賢いに違いなく、
そんな方々がなし子氏の自明なアートを理解できないとはとても考えられないのでございます。
私にはこの再逮捕がなし子氏に対する「懲らしめ」ではなく、
我々市井の人間に対する「見せしめ」のようにさえ感じるのでございます。
考え過ぎでしょうか?
私はエロ絵を発表し始めてから、エロ表現とわいせつについて考えて参りました。
私は自分の作品をアートとか芸術などとは申しませぬ。
私の作品は正真正銘のエロでございます。
しかし「エロ」のなにが悪いのか。
それを訴える意味でも作品を発表し続けておりますが、
今回の事件を目の当たりにして問題はエロに留まらない気がして参りました。
これから私は「エロの自由」のためだけではなく、
「表現の自由」のためにもエロ絵を描いていく覚悟でございます。
(了)
2014-12-09(Tue)
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《わたしの「まん中」を3Dスキャンして、世界初の夢のマンボートを作る計画に支援を!》
http://camp-fire.jp/projects/view/662
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上の文章を読んで氏が“まんこ”に対してどのような思いや考えを持っているのかを知り、
私は自分がこの事件についてまったく誤解していたことがわかりました。
氏は自分のまんこにアイデンティティーを込めているような気がいたします。
一連のまんこを型取ったオブジェはまんこが無ければ何の変哲もない物です。
そこにまんこがあるからインパクトがある。
そのインパクト性はまんこに対する禁忌感に他ならないのでございます。
氏はそれを無くすためにも作品を作る。
とても面白い表現方法だと思うのでございます。
また、他人のではなく自分のまんこを石膏でそして3Dスキャンで再現した作品群を見ていると、
「私のまんこそのもの」でなければならないという強い自己表現も感じます。
ある意味とてもわかりやすい、変な言い方ですがとても健全なアート活動に思えるのでございます。
上のサイトを読んで頂ければわかりますが、件の「自分の女性器を型どった作品を頒布した」というのも、
マンボートを作るための支援に対する「お礼」でございまして、
もちろんファンであれば氏の「作品」が欲しいとも思いますし、何よりもそれよりもまず支援しようという気持ちが先んじていたはず。
私が報道でまんまと思い込まされたようないかがわしい行為では決してないのがわかりました。
だいたい、よくよく考えれば今の時代、性器の一つや二ついくらでも見ることができるのでございます。
誰がそれを型どった作品をわざわざ危険を犯してまで手に入れようとするでしょうか。
知れば知るほど、氏が逮捕されなければならない理由がわからなくなった私でございました。…
2014-12-08(Mon)
ろくでなし子氏が自分のまんこを3Dスキャンで型取り頒布したとして今年の夏逮捕、
その後釈放されましたが今回同容疑で再逮捕されました。
正直に申しまして私が氏について興味を持ったのは今回の再逮捕がきっかけでございました。
当初、ニュース記事などでは、自称・芸術家が自分の性器を型取ったわいせつな作品を複数人に頒布した、
といった内容でしたのでそれを聞いたり読んだりした人は、
このろくでなし子という人物が金目的でいやらしい卑猥な造形物を作り、
これまたいやらしい卑猥な男たちがいやらしい卑猥な目的でそれを闇ルートで買ったのだろう、
と思ったのに違いありません、というか私はそう思ったのでございます。
ですから幼稚なつまらない事件だと単純に判断しておりました。
ところが先日、氏が再逮捕されたという記事を目にして「おや?」と感じました。
私が想像したような事件にしては警察が執念深いような気がいたしました。
そこで初めてろくでなし子氏とこの事件についてちゃんと調べてみる気になったのでございます。…
2013-03-06(Wed)
私がなぜエロの要素である猥褻性にこんなにこだわるかと申しますと、
現実に私自身が犯罪者となる可能性があるので、
エロ創作をする上で法的な「わいせつ」の意味を知る必要があったというのがまずありました。
が、それとは別に、
エロあるいはエロスにとってこの猥褻性がもっとも要だと感じるからでございます。
そしてそのエロスの猥褻性がなぜ忌み嫌われ羞恥心を呼び起こしそれゆえ罪悪視されるのか―
この不可解さが私をこだわらせるようなのでございます。
そしてその「わいせつ」ゆえに創作を規制あるいは弾圧される理不尽が我慢ならないのでございます。
もしかしたらエロのことが(私自身も含め)よくわかっていないので、
恥ずかしいから悪!と、その自分が感じる羞恥心と対峙せず「わいせつ」などという言葉を被せているのではないかとさえ思うのです。
精神分析のフロイト博士が看破したように、エロスは人間精神を支配する底知れぬエネルギーでございます。
このエロを創作のテーマにするからにはよほど腹をくくって掛からなければなりますまい。
ですのでそう考えている私にとっては「わいせつだから罪悪」という感性がまったく理解できないのです。
どうやらこれから先、まだまだ「わいせつ」とやらと付き合っていかなくてはならないようでございます。
了
2013-03-05(Tue)
私は思うのですが、もともと“わいせつ”などというものは定義など出来ないのではないでしょうか。
上の三要件のうち特に「善良な性的道義観念」というのが分かりません。
エロに善良な道義観念、邪悪な道義観念などがあるのでしょうか。
それからよく耳にするのが「これはエロか芸術か」という言葉で、
裁判などではそれが争点になる場合も多いようでございますが、
この“芸術”というやつもわいせつと同じぐらいに定義不能なあやふやなものでございます。
以前にも書いたことがございますが私はミュシャの作品はエロだと思っております。
エロスとかエロティックという表現ではなく、まさしくイヤらしいスケベなエロ、抜けるエロさという意味でございます。
また逆に江戸春画などは美しいと思うのですが世間的には“わいせつ”の烙印を押されているようでございます。
街を歩くミニスカートの女性は「徒に性欲を刺激・興奮」させていますし、
SEXは二人だけで隠れてすれば愛と讃えられますが街なかでやれば「普通人の正常な性的羞恥心を害する」行為に変わります。
このような、個人個人の感性やその時の状況次第で変化する“わいせつ”などという正体不明なものは、
どだい定義付けなど出来ないと思うのでございます。
“芸術”も定義することは不能と申しました。
しかし定義できないからこそ、決まった「枠」がないからこそ芸術は芸術足りえるのでございます。
エロにもそれに共通するものを感じます。
決まった枠などに一切はめることができない底の無さがエロスの力と可能性ではないでしょうか。
このようなものを枠にはめ込もうと定義付けするなど愚かなことだと思うのでございます。
2013-03-03(Sun)
「わいせつ」とは何か?
つまり日本において法の下に処罰されるところの猥褻性のことであります。
もっぱらネット上ではありますがいろいろ調べておりますと、
わいせつの定義として3つの要件があることを知りました。
もちろんこれは法的な意味でございます。
この「わいせつ三要件」が生まれたのは1951年、
「サンデー娯楽事件」といわれる裁判での事だということでございます。
以下、ウィキペディアから。
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―サンデー娯楽事件―
サンデー娯楽事件(サンデーごらくじけん)とは、
俗に「カストリ雑誌」と呼ばれた粗悪な娯楽雑誌の一つ、「サンデー娯楽」のわいせつ性が問題となった事件である。
最高裁は、1951年(昭和26年)5月10日、この事件で、
《徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する》
文書が刑法175条の猥褻文書であるとする基準を採用し、
「サンデー娯楽」のわいせつ性を肯定した(刑集5巻6号1026頁)。
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つまり「わいせつ三要件」とは、
1.徒に性欲を刺激・興奮させること
2.普通人の正常な性的羞恥心を害すること
3.善良な性的道義観念に反すること
ということなのでございます。
私は初めこれを読んだとき、
正直に言いまして何のことやらさっぱり分かりませんでした。
いえ、正確に表現しますと、
「わいせつ」というものがボンヤリとぼやけて感じられたのでございます。
どうでございましょうか、
随分と抽象的で場合によってどのようにも解釈できる表現だと思われないでしょうか。
私はこの時の最高裁裁判長が力不足だったとか法的に平等性を欠いていたとか思いません。
逆にこのあやふや性は正直な表現だと思うのでございます。
2013-02-26(Tue)
真面目な話、いま私の部屋に警察が踏み込んできてパソコンその他を押収され、
裁判で私の作品が“わいせつ”であると判断されたら私は犯罪者となるのでございます。
しかし今の段階ではおそらくそういうことはないだろうとは思っております。
エロ画を描いてネットにアップしている人はおそらく何万とおられるでしょうし、
IT関係だけでなく雑誌やAVその他も対象なのですから私のような小さい個人に手を掛けることはないと思われます。
ただ図象として性器を描いておりますから、何らかの理由で逮捕される可能性はあります。
この条文においてもっとも重要なのは「わいせつな」という言葉でございましょう。
罪に問われるかどうかは、対象となるものが「わいせつ」かどうかに掛かっているのでございます。
「わいせつ」とは何なのでしょう?
「わいせつ」はそんなに罪悪なのでしょうか。
そうだとしたら「わいせつ」の何が罪悪なのでしょうか。
エロそれ自体が罪悪ならSEXは最大の罪でございます。
本当に私にはエロの何が罪悪なのか、さっぱり分からないのでございます。
了
2013-02-24(Sun)
改正後の刑法175条は―つまり現在適用されている刑法175条は、
私のようにパソコンでエロ画を描き、それをネットにアップしている者つまり、
“わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列”している者にとって、
ドンピシャリの条文なのでございます。
他人事ではございません、「オレはエロ画なんか描いてないから大丈夫」という貴方、
“電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した”つまり、
パソコンで何か“わいせつ”な絵、文章、写真などを送信したことはございませんか?
あるなら同罪でございます。
「オレはエロなんか創作してないし他人のものであれエロを送信したこともない」という貴方、
第2項“前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した”つまり、
パソコンの中にエロを保存したり“わいせつ”なモノを所持しておりませんか?
私の作品をダウンロードしているなどもっての外でございます。
“有償で頒布する目的”ではないから大丈夫?
本当にそうでしょうか?
売るつもりがなかったと、どうやって証明できるのでしょうか。
読んでお分かりでございましょうが、条文というものは抽象的でいかようにも解釈できるものなのでございます…
…と、もちろんこれは少しオーバーに書いておりますがしかしあり得ないことではないのです。
2013-02-23(Sat)
いわゆる“わいせつ罪”のうち、
私などエロ創作者にとってもっとも重要になる条文でございます。
刑法の百七十五条《わいせつ物頒布(はんぷ)等の罪》でございます。
(わいせつ物頒布等の罪には、わいせつ物頒布罪、わいせつ物陳列罪、わいせつ物販売目的所持罪が含まれる。
頒布とは有償・無償問わず、不特定多数への交付を意味する。
「公然と陳列」するとは、不特定多数が認識できる状態にすることを意味する。
販売目的所持とは、販売目的で自己の支配下に置くことを意味する。―ウィキペディアより)
この条文は平成23年に改正されております。
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刑法第百七十五条 (わいせつ物頒布(はんぷ)等)
改正前:
「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、
2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。
販売の目的でこれらを所持した者も、同様とする。」
改正後(平成23年7月14日から施行):
「(第1項)わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、
2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
(第2項)有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。」
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改正前と改正後の何が違うかは一目瞭然でございましょう。
そう、もっぱらコンピューター、ネット、IT対応の改正でございます。
2013-01-09(Wed)
何度か書いたことでございますが、
私はほとんど性の目覚めと同時にエロ画を描いておりました。
初めは小さなメモ用紙に描いては捨て描いては捨てておりました。
描く度に「もう二度と描くまい」と誓ってはまた描きを繰り返してきたのです。
当時はただ忌まわしい性癖と思っておりましたが、
今はそれが止むに止まれぬ自己表現だったと感じるのでございます。
絵に限らず表現物というものはそれを作成した者の命に等しいと私は考えております。
ですから他人がある作品を力づくで破壊したなら、
それは作者の命の一部を殺すに等しい行為と言えるのではないでしょうか。
人間のする表現において「規制されなければならない表現」など無いのです。
いったい「わいせつ」とは何なのか。
エロをテーマに表現する人間としてこれは知らなければならない、
また、考えるべきことだと思うのでございます。
2013-01-08(Tue)
エロの何が悪いのでしょうか。
窃盗や殺人それ自体に罪悪性があるように、
エロの猥褻性それ自体に何らかの罪悪があるならSEX禁止令を出さずばなりますまい。
しかしSEXは禁止ではない。
ということはエロ自体ではなくその見せ方に問題があるのでしょうか。
確かに渋谷の街なかでSEXをすれば公然わいせつです。
しかしネット上でのいわゆる「わいせつ物」も取締の対象です。
ここが私の一番気になるところなのでございます。
実は私もまだわいせつについては端緒に就いたばかりで、
これは勉強と同時進行のエッセイでございます。
まだ何も知らないのですがしかしどう考えても、
女性の美しさやエロスをそれが「わいせつ」だからと表現する事が許されない、
などということはあってはいけないこと、理不尽なことと思えて仕方がないのでございます。
2013-01-06(Sun)
これから猥褻(わいせつ)、猥褻罪について自分なりに勉強しようと思い立ちまして、
少々堅苦しいとは思いますがエッセイを記すことにいたしました。
まず、猥褻を考える前に「表現の自由」について。
日本国憲法
第三章
第二十一条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
私は憲法や法律に関して全くの素人ですのでとんちんかんな事を書くと思いますが、
この第二十一条で大事なところは、
「一切の表現の自由は、これを保障する」
の一文だと思うのでございます。
まったく美しい文章ではないでしょうか。
一切の表現の自由は保障すると明記されているのに、
なぜエロ表現はかくも不自由なのでしょうか。
いえ、憲法上の話だけではありません。
表現者にとってその表現を規制されることは自分を否定されることなのでございます。
なぜ自分は否定されなければならないのか―
そんな憤りや疑問、そして不安から「わいせつ」に取り組もうと思ったのでございます。