2012-10-30(Tue)
なぜエロは恥ずかしく隠されるものなのか。
卑猥、猥雑と言われなぜ公衆の目から隔離されるのか。
私自身、性に目覚めた子供の頃からエロ画を描き始めましたが、
今に至るまで他人から隠し続けて参りましたし、こうやってネットで発表するまでは、
エロ画を描くことは変態的で恥ずかしく忌まわしい悪癖だと感じておりました。
何十年も描いて参りましたが、そのほとんどを描いてはすぐ捨てて参りました。
何度も描くのを止めようとしましたが駄目でございました。
私はエロ画に対して強烈な恥ずかしさと罪悪感を持ちながら、
どうしても描くことを止められなかったのでございます。
自分のエロ画が家族や知人に見つかるという悪夢にも苦しめられました。
なぜエロは恥ずかしく隠されるものなのか。
エロが何の抵抗もなく受け入れられ、いやそれどころか賞賛されるものだったなら…
大手を振ってエロ画を描いて積極的に発表できるのに…
と、思って参りました。
しかし最近、ずっと繰り返ししてきたその空想-何の抵抗もなくエロ画を描いている自分-をしていて、
何か違和感を感じたのでございます。
すべてが受け入れられてエロ画を描いている自分がなんだか平べったく思えたのでございます。
エロは後ろめたいもの、糾弾されるもの、他人から隠れてこっそり覗くもの-それでいいのではないか。
明るい部分と暗い部分があるから深みが出るのではないか。
そんな世界にあえて踏み込んで創作するエロ画は一級の芸術作品ではないだろうか。
春画は大手を振って表に出せない「後ろめたいアート」なのではないか。
それは「暗がりでこそ輝くアート」なのではないだろうか…
そう思い至ったとき私の脳裏に、
時間を掛けて手の込んだ仕上がりの、恐ろしく卑猥で美しい平成の春画が浮かびました。
それはただのイメージなので具体的な形を持ちませんが、
いつの日かそんな作品をものにしたい、と思ったのでございます。
どうやらどんどん道は険しくなるようでございます(笑)。
2012-10-27(Sat)
ごく平凡で正常な我々は女性の身体のパーツにエロさを感じます。
しかしご存知のように人間にはフェチズムがございます。
ストッキングやハイヒール、この辺りはよく理解できます。
中にはとんでもないフェチをお持ちの方も居るのではないでしょうか。
たとえば、鉛筆に強烈なエロを感じるとか。
私の場合、フェチとは違うのですが直球ではない変化球的なエロを感じるものがございます。
それは、草むらや林の中に捨てられてヨレヨレになっているエロ雑誌、でございます。
性に目覚めた頃、エロ本を気軽に買うお金も度胸もなく羨望と妄想で頭がいっぱいだった頃、
誰も居ない雑木林のような所に入っていき、そこに捨てられているエロ雑誌を探したことがございます。
それを見つけた時の興奮は今でも生々しく思い出します。
購入したエロ本を自分の部屋で落ち着いて見るのとは全く違う興奮がそこにはございます。
枯葉や雑草が散らばる上に野ざらしになってガビガビになったエロ本の、
偶然開いているページから覗くヌードや扇情的な女性の姿態。
私はそこにこの世のものとは思えないほどの強烈なエロティシズムを感じるのでございます。
ところがそれを自分の部屋で落ち着いて開いて見るとその興奮はそこにはないのです。
この違いは何なのでしょう。
私を興奮させる「野ざらしのエロ本」の秘密。
これはあるいはエロティシズムの秘密に通じるものなのかも知れませぬ。
2012-10-25(Thu)
額装ヴァージョン
2012-10-24(Wed)
実はボツにするはずだった下描きでございますが、
ちょっと陰だけ…ちょっと軽く色を…、とやっているうちに完成作になりました。
けっこう長いあいだ頭の中にあったもので、
カバ男はそのあいだに発想したものでございます。
下手なエロ詩を付けてみました。
いろいろな角度、方法でエロの世界を表現したいと考えております。
2012-10-24(Wed)
『亜美のラプソディ』
そんなはずじゃなかった亜美
さっさと金を巻き上げて逃げるつもりだった亜美
いやらしいオヤジに誘われて
そんなはずじゃなかった亜美
洗面台で支度をしてたら
不意をつかれて後ろから
恐ろしいほどのデカ魔羅で
奥の奥まで突き上げられて
そんなはずじゃなかった亜美
「ああっ、だめエ、そんなおっきいの入れたことないよォ。
いやっ、いやっいやぁああっ、オジさん凄いっ、
ダメダメダメダメダメ、もっと優しくしてっ!
ああああああああああっっ、いくいくいくいくいくいくぅぅうううっ!!」
鏡に手をついて見てみると
オヤジはおぞましいカバとなり
獣のように雌犬のように
後ろから犯されてよがる自分の姿
そんなはずじゃなかった亜美
部屋中に響き渡るよがり声
カバ男の大魔羅を身体いっぱいに感じながら
狂乱の絶頂の中で気を遣り続ける
そんなはずじゃなかった亜美
2012-10-22(Mon)
私の通勤途上に大きなパチンコ屋がございます。
その壁にAKB48の主だったメンバーさん達が起用されている大きなポスターが貼ってあります。
ずっと何気にチラリと見ながら通り過ぎておりましたが、本日ハッと気付いたのでございます、
AKB48の「48」は性技の「48手」の暗喩ではないだろうか、と。
今日の今日までそれをまったく連想しなかった自分は何という愚鈍でございましょう。
しかしそれにしてもあの秋元氏がそこに気付いていないわけがございません。
これはきっと「あたしたち48人がそれぞれ48手でお相手するわ」という意味が込められているに違いありません。
いえ本当にお相手するわけでなく、それは我々のエロアンテナの潜在意識を刺激する数字ではないでしょうか。
彼女たちは「48」という数字に象徴されるエロを、制服やコスチュームで押し包んで漂うような色香に変えているのではないでしょうか。
そう気付いたとき私は、彼女たちをモデルにして48枚の『AKB48手』という作品が描いてみたいと思ったのでございます。
しかし48枚はとても描けそうにありません。
誰かエロ絵界の秋元康になって私を入れた48人の絵師をプロデュースしてくれないものでしょうか。
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ついでに四十八手のことを検索しておりましたら面白いブログを見つけました。
『台湾の四十八手が凄い』
http://ksklog.blog108.fc2.com/blog-entry-1127.html
ここで紹介されている本に描かれているエロの表現に衝撃を受けました。
一見の価値あり、でございます。
2012-10-17(Wed)
美香を額装仕立てにしてみました。
追々、他の作品も額に入れて行く所存でございます。
CG作品は色々な実験が出来たり、
ヴァージョン違いのものを作成したり出来るので素晴らしいですね。
2012-10-15(Mon)
今日、素晴らしいヒップの女性を街で見かけました。
20代後半の年頃で長い髪の女性でございました。
そのヒップを包んでいたのはスカートではなくパンツだったのですがあれはなんというのでしょう、
スラックスではなく綿のような柔らかい伸縮性のある素材の、生地の薄いパンツでございます。
色は黒でございました。
そのパンツがぴったりとその女性のお尻と脚を包んでおりました。
パンティラインが全く見えなかったのでおそらくTバックを穿いていたものと思われます。
私が魅了されたそのお尻はとてもボリュームのある大きな丸いお尻でございまして、
そしてしっかりと後に突き出してとても張りのあるやり盛りの感じのするお尻でございました。
彼女は私の前を小走りに去って行ったのでございますが、
足を交互に踏み出す度にパンツの中央、
縫い合わせの部分の左右に短い数本のシワが、
瞬間的に現れては消え現れては消えておりました。
足が地に着く度に、ぶるん、とその大きなお尻は自らを震わせておりました。
そうそうお目に掛かれないこのような完璧なヒップを目にした時、
私は喉の奥からついついクゥゥといったような声にならない声が出てしまうのでございます。
私にこのような声を出させる「エロス」は果たしてその彼女に、
あの素晴らしいヒップに宿っているのでしょうか。
いや、おそらくエロスは私自身の中に存在するのでしょう。
私が春画を描くのはきっと、
彼女やあの素晴らしいヒップ自体を描いているのではなく、
自分の中のエロスを描こうとしているのだとそのとき気付いたのでございます。
最近私は、エロスとアートの関係が気になり出しているようでございます。
あの、素晴らしいヒップを見て感じるゾクゾクするいやらしさは全ての源なのでございましょうね。
2012-10-14(Sun)
今日から日記を書きます。
現在、新作に取り掛かっております。
一枚物のつもりで描き始めたのですが、
構想と妄想がどんどん膨らんで複数枚の絵物語にしました。
内容は、未使用下描き#20でも触れました「露天風呂で犯される女将」でございます。
これは今まで以上に気合いを入れて私の転機になるぐらいの作品にしたいと思っております。
ところがそうなるとブログの更新が数ヶ月先になると思われ、
それが気になり落ち着いて作品に取り組めないので日記を書くことにいたしました。
もちろん歓喜天翁のブログですので基本的にエロに関する内容です。
よろしければコメントも付けてやって下されませ。
絵とは又違ったやり取りが出来る事と思いまする。
プロフィールにメールアドレスも記載しました。
〈Email address〉 kanki330-tennou@yahoo.co.jp
2012-10-03(Wed)
「金剛」の字を間違えております(笑)