2014-04-20(Sun)
歓喜天翁の夢。
個々人には強烈に受け入れられながら社会的には排斥される、
そんな絵描きでありたい。
2014-04-11(Fri)
私はどうも自分の作品についてあれこれ語ってしまう癖がございます。
絵描きとしては愚の骨頂だと思っているのでございますが、
まだエロ絵に対して試行錯誤しているからなのかも知れませぬ。
『誘惑する巨乳人妻』という絵は自分の中のドロドロしたエロに関する感性をあえてストレートに表現してみた作品でございます。
それは特に書き文字に表れていると言えましょう。
絵にもそれは出ておりまして、改めてこの“巨乳人妻”の表情を視ておりますと、
私が好んで描く男好きするようなポッチャリとした美人とは余程かけ離れた禍々しい顔をしております。
私はこれを「便所の落書きのように」と意識して描いておりました。
エロ絵の原点は「便所の落書き」にあると私は考えております。
描く者はそれを「作品」などとは思っていない。
いつかは消される完全な落書きでございますが彼は止むに止まれぬ衝動で描いてしまう。
こっそりと用意してきた鉛筆で。その震える手で。
描き終わったすぐにでも誰かが人として恥ずべきこの絵を視る。
彼は、この自分の恥部を他人に視られたら自分は取り返しのつかない罪人になってしまう気がしているのに描いてしまうのでございます。
そこに描かれた絵は性の欲動のみが充満し芸術性など微塵もございません。
見るに耐えないような汚らしい絵でございますが不思議と視る者を惹きつける力を持っているものでございます。
私は『誘惑する巨乳人妻』の特に書き文字を書いている時、ことさら羞恥心を感じまた自分の正気を疑っておりました。
こういう時は、描いている私の狂気をもう一人の私が他人のように客観視して感じ取っているのでございます。
描き終わって我に返り作品を眺めると、
わずかに歪んで傾いている文字や彼女、禍々しい表情、欲動の赴くまま唐突に描き加えられた精子、そして全体を覆う暗いトーン。
それらを視たとき私は気付いたのでございます、便所の落書きのように欲動に身を任せて描くとどうなるかを。
それは感覚的なものなので文字で表現するのは難しいのでございますがあえて言うなら作品に対するストイックさ、でございます。
失笑を承知で言うなら作品に対する愛でございます。
いい作品に仕上げよう、少しでも視る人を感動させるものにしよう、という創作に対するストイックさがないと、
エロスの欲動に喰い物にされて無残な姿を晒すことになるのでございます。
しかしながらそれがエロ絵の根源的なパワーでもあるです。
そこから離れてエロ絵はあり得ません。
凶暴なエロスという獣の背中に乗って、作品に対する愛を持ちながら完成までの道のりを制御しながら旅する―
綺麗事ですが例えて言うならこういう事でしょうか。
本来なら没にするところなのかも知れませぬが、反面教師として肝に銘じるため「完成作」としてアップした次第でございます。