2ntブログ
2013-03-31(Sun)

マルキ・ド・サド『ソドムの百二十日』 ③

ブランジ公爵の演説はまだ続きますがこれぐらいにしておきましょう。
サドは自分の行為が犯罪であり神に罰せられるような行いであると世の中から烙印を押されたとき、
リベルタン(信仰及び宗教的戒律に従うことを拒否して自由に振舞う精神を信条とする者)になることを心に誓ったそうでございます。
このブランジ公爵の言葉は、神に唾を吐きかけるがごとくサドのリベルタン宣言のようにも聞こえるではありませんか。
これは我々日本人とは違って、キリスト教世界においては命懸けの宣言だと思うのでございます。
また、快楽のためには何物も辞さない強烈な快楽主義者の姿がここにあります。
そしてここで嘲笑され罵倒されている、「いつもふらふら」している人間とは自分の事ではないかと私は赤面する思いでございました。
リベルタンでなくても快楽主義者でなくても、私のようなごく平凡な人間でも、
このブランジ公爵のような生き方をするべきではないか、そう思うのでございます。
さて、快楽に対してこのような強靭な精神と信念を持った公爵が三人の仲間と餌食になる大勢の犠牲者とともに120日の間、
人里離れた館で恐ろしくおぞましい狂宴を繰り広げる―それがこの『ソドムの百二十日』の物語でございます。
2013-03-29(Fri)

マルキ・ド・サド『ソドムの百二十日』 ②

この作品は「序文」「第一部」「第二部」「第三部」「第四部」という構成になっております。
サドという人物はその名がSMのSの語源になった人物でありまして、
その猟奇的変態的行為によって、社会制度や時代もありますが一度は死刑判決を受けた程の半生を送っております。
サドは二十代の頃から逮捕されたり投獄されたりして人生の最期はシャラントン精神病院だったそうでございます。
この『ソドム』はサドが45才の頃、
当時投獄されていたバスティーユ監獄のなかで看守の目を盗みながら書かれました。

「序文」の中で非常に感銘を受けた部分がございます。
それはこの物語の中心人物、精力絶倫で極悪非道のブランジ公爵がのたまう科白でして、
おそらく著作権的には問題ないでしょう、余りに感動的なのでここにその一部を転載させていただきます。

**********************************

公爵は常々語っていました。
「人間がこの世で本当に幸福であろうとするならば、一切の悪徳に身を任せるだけではなく、自分に対してたった一つの美徳も許してはならないのだ。
常に悪事を行うように心掛けるばかりではなく、決して善を行わないということが肝腎だ。
世の中には、普段美徳を行うことを心掛けながらときたま情欲に駆られて悪の道に引きずり込まれてしまう人間がいるが、
そうした人間の魂は過ちから醒めるとたちまち平安に戻り、又無事平穏に美徳の道を歩み直してしまうのだ。
だから、彼らは善と悪との戦いから過ちへ、過ちから後悔へとさまよい歩いて、最後には、自分はこの世でどんな役割を果たして来たのかをも正確に言い切ることもなく死んでしまうのさ。
そんな人間は不幸に決まっているよ。
いつもふらふらし、いつも迷って、朝になると昨夜のことを嫌悪して一生を終わってしまうだけなのだ。
そうした連中は、例え快楽を味わっても必ず後悔するのがお定まりだから、快楽に身を任せながら絶えず震えているのさ。
ちょうど、悪事を行いながら善人になってしまい、善を行いながら悪人になってしまうようなものなのだよ。
私の性格はもっと強いから、私は決してガタつきはしないね。何を選ぶか決して迷いはしないね。
自分のすることには必ず快楽が伴うものだと確信しているから、後悔して快楽の味を薄めてしまうような馬鹿げた真似はしないよ。…(後略)」

(佐藤春夫訳『ソドムの百二十日』より)
2013-03-28(Thu)

マルキ・ド・サド『ソドムの百二十日』 ①


ソドムの百二十日ソドムの百二十日
(2002/07)
マルキドサド

商品詳細を見る


私はごくごく平凡な性癖の持ち主でありましてSMというものが全くわかりません。
それが最近、理解できないまでもSMはエロスの進化形ではないかと思ったのでございます。
動物的交尾から快楽を切り離したエロス、
それへ苦痛や被虐や羞恥を加えたSMはさらに人間的行為と言えるのではないでしょうか。
とにかく私はSMに対して急激に興味が湧き始めたのでございます。

マルキ・ド・サドの『ソドム―』(原題は『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』)は澁澤龍彦訳のものが有名ですが、
全体の約六分の一である「序文」の部分しか訳されておりません。
そこで完訳されている佐藤春夫訳『ソドム―』を購入いたしました。
が、これが大作でありまして、読むのが遅い私にはいつ読了できることやら。
また、感想文も一筋縄では行きそうもないので読み進めながら覚え書きも兼ねて感想を書いていくことにいたしました。
現在「序文」を読んでいるところでございますがSMというものは、
ただ暴力的であったり変態的であったり―ではとても収まらないもののようでございます。
そこには人間心理…というより人間存在に関わる何かがあるように感じられるのでございます。
2013-03-26(Tue)

tubuyaki13.03.26.

女性は私をニルヴァーナへ導く門である。
女性を介して私は創造し幻想し涅槃に触れるのだ。
2013-03-23(Sat)

tubuyaki13.03.23.

考えるな、幻想するんだ!
2013-03-22(Fri)

【ショートカットの美樹】失敗作

【ショートカットの美樹】失敗作
イメージでは少し写実的に色を着けて仕上げるつもりでしたが上手くいきませんでした。
よく考えれば美樹は写実ではありませんので上手くいく訳がなかったのでございます。
手法の誤りを悟り、先に発表しましたように鉛筆画で完成といたしました。
ただバックの暗い感じは、私の感性らしいと気付かされました。
エロは日陰の中で輝きを増すイメージがあるようでございます。
いずれにせよ、“美樹”にはずい分こだわる結果となりました。
2013-03-21(Thu)

tubuyaki13.03.21.

私がエロ絵に求めているものは現実からの逃避ではなく、現実からの解放である。
2013-03-21(Thu)

【壁紙・二人の美樹】

【壁紙・二人の美樹】
ここまで作り込むつもりはなかったのです。
単に自分のパソコン用に美樹を並べただけの画像を、
10分程度で作るつもりでございました。
ところが一体どうしたことでございましょう、
半日も掛けてここまで作り込んでしまいました。
皆様もどうぞよろしければ壁紙に使ってやってくださりませ。

***************

これを作りながら私は二人の美樹に犯される夢を見ておりました…。

私は両手を縛られ仰向けに寝かされて、
お尻をこちらに向けたツインテールの美樹に顔面騎乗を受けております。
フルバックの薄いパンティーに包まれたおまんこがちょうど私の口の所に、
少しかぐわしい肛門の部分が鼻の所に押し付けられています。
私は胸いっぱいに何度も何度も美樹の肛門の匂いを嗅ぎながら、
仄かにオシッコと下り物の香りがする薄いパンティーの布地に包まれた、
美樹の柔らかいおまんこを舌でいじったり口で吸ったりいたします。
感じやすい美樹は激しく喘ぎながら、
お尻をグラインドさせてぐいぐいと私の顔に押し付けて参ります。
私が窒息するのもお構いなしで。
そして体をベッタリと私に密着させ(ああ、その巨乳の感触!)、
破裂しそうに膨張している私の竿を貪るようにしゃぶり上げています。
ツインテールで童顔といってもいい可愛らしい顔をしていながら、
何という破廉恥な振る舞いでしょうか。

ショートカットの美樹は私の足の方に居て、
右手の中指を根本まで私の肛門に入れて前立腺を刺激しながら、
左手で竿を抑えて玉袋を吸い上げています。
ツインテールの美樹の玉門と菊門を味わいながら竿をしゃぶられ、
ショートカットの美樹には肛門と玉を責められて、
私は気が狂いそうなほどのエクスタシーの中で翻弄されております。
そしてショートカットの美樹が私に跨がり、
今までの人生で最高に怒張している私の竿を可愛いおまんこの中に飲み込みました。
彼女は快感に絶叫しながら、
カリがGスポットを刺激するように亀頭の先がPスポットを直撃するように竿の角度を調整しつつ、
激しく腰を振り続けます。

ツインテールの美樹が自分のクリトリスを手で無茶苦茶に刺激し始めました。
二人の美樹は私の上で接吻しながら愛し合っているようでございます。

あああ、ショートカットの美樹がいよいよ絶頂を迎えそうです。
両手を私の胸に突いて、はしたない格好で腰を激しく振っています。
ツインテールの美樹も指をヴァギナの奥深く差し込んで今にも達しそうでございます。
ふたりとも快感に呑み込まれながら我を忘れて大声で叫び始めました、
イクイクイクイク、と。

まずショートカットの美樹が逝きました。
私の竿の根本がキュウゥゥ、と痛いほど締まって竿全体に熱いものが迸ります。
次いでツインテールの美樹が体をガクガクとさせて私の顔の上に愛液をぶちまけます。
そしてほとんど同時に私が美樹の中に―彼女たちの体が私の上で跳ね上がるほど、
まな板の上の魚のように猛烈な勢いで腰を上下させながらありったけの精液を子宮の中に放出してしまいます。
あまりの快感でなかなか放出が収まりません。
ショートカットの美樹が気を失うように引きぬいたまだ射精が続く私の竿を、
ツインテールの美樹が引き継ぎフェラチオして精液を飲んでいるようです…。

それを私は、朦朧とした意識の中で感じているのでございます。
2013-03-19(Tue)

tubuyaki13.03.19.

エロ絵は生の謳歌である。
2013-03-19(Tue)

~二人の美樹~

この美樹の鉛筆画は気に入っている作品でございます。
ツインテールの美樹が元々の絵でございまして、
しゃにむにの掲示板にもアップした作品でございます。
気に入っているものですからいつか色を付けようと思い、
このブログでも発表するのをずっと控えておりました。
今回手を加えようとしてついショートカットにしてみましたら、
まるで別人のようになりましてこれはこれで可愛い。
私は美樹に恋をしてしまったのかもしれません。
どうにもこれ以上手が出せなくなりました。
不思議なものでございます、自分が描いた絵に恋心を感じるとは。
いつか色を付けるかもしれませんがこの二人の美樹、
この鉛筆画の状態でも完成作といたします。
2013-03-12(Tue)

日記~【快楽―この人間的なもの】③

我々にとって「快楽」は「本能」ではございません。
セックスはもう子孫を残すためだけの本能的行為ではなくなりました。
あえて表現するなら「快楽」は「文化」であります。
動物だった我々にとって獲物を得る死活問題な行為だったハンティングがそうではなくなったように、
殺しあう決闘がレスリングやボクシングになったように、
我々は交尾から「快楽」という文化を生み出したのでございます。
動物には欲情や快感はあるかもしれません、しかし「快楽」は人間だけのものでございます。
命や生存に関わる「本能」的なものに近いほど「動物」的と言えましょう。
エロな絵や文章を視たり読んだりして興奮を覚える―こんな「快楽」的なことは人間にしか出来ません。
何という事でしょう、我々は素晴らしく高度で文化的なことをやっているのでございます。
正直に言いまして私は今までずっと、
「これは腹の足しにもならない愚にもつかない下卑た本能に振り回されているだけの軽蔑されるべき下らない行為ではないか」
とどこかで罪悪感を感じながら春画を描いて参りました。
そんなことはなかったのでございます。
人間、そして自分というものをもっと真剣に深く洞察していれば辿りつけたのでございました。
これを読んでくださっている皆様、私の絵を愛でてくださる皆様。
これからも誇りと自信を持ってエロを愛そうではありませんか!


2013-03-10(Sun)

日記~【快楽―この人間的なもの】②

我々は大脳が発達して知能が高くなり衣食住に困らなくなってきて段々と「人間」になって参ります。
それはつまり生活、人生に余裕が出来て―寿命も延びて―「時間」を得ることでもあります。
そう、我々は「人間」になって本能だけに生きなくても良くなったのでございます。
外敵から身を守る家の中で食の心配もせず充分な時間の中でリラックスして行う交尾―。
これはもう交尾ではなくセックスではないでしょうか。
知能が高まり時間が出来た我々「人間」は本能以外の能力を伸ばさざるを得なかったのです、「暇つぶし」のために。
これは知能が高まった動物、人間の必然だったのでしょう。
私は男ですのでオスの観点でお話しておりますが「動物」だった我々にも、
メスに否応なく引きつけられ交尾するからにはメスに対する「欲情」と射精に伴う「快感」は間違いなくあったはずでございます。
これは食における空腹感と満腹感、便における便意と排便にあたる本能的な感覚でしょう。
我々は交尾から「欲情」と「快感」を抽出して培養し、本能から独立した「快楽」を手に入れたのでございます。
2013-03-08(Fri)

日記~【快楽―この人間的なもの】①

人間の性はもはや本能ではないとよく耳にしておりましたが、
ようやく私にもその意味が理解できて参りました。
**********
原始時代に戻ってみましょう。
我々がまだ「動物」だった頃でございます。
暑さ寒さに耐えながら獲物を一日中追い回していたことでございましょう。
いや恐らく毎日食べ物を口には出来ずにいつも空腹だったに違いありません。
動物だった我々はその一生を“生きるためだけ”に費やしていたのです。
そんな我々のセックス、いえ、交尾はどのようなものだったでしょうか。
発情期があり純粋に子孫を残すだけが目的の交尾。
他の猛獣たちから襲われないように注意を払いながらの交尾。
そこには「人間」である我々が感じている「快楽」などは存在しなかったのではないでしょうか。
とてもそんなものに耽る余裕など無かったのではないか、
そんなことは“本能的に”許されなかったのではないか―そう思うのでございます。
2013-03-06(Wed)

わいせつについて~【“猥褻(わいせつ)”の定義】③

私がなぜエロの要素である猥褻性にこんなにこだわるかと申しますと、
現実に私自身が犯罪者となる可能性があるので、
エロ創作をする上で法的な「わいせつ」の意味を知る必要があったというのがまずありました。
が、それとは別に、
エロあるいはエロスにとってこの猥褻性がもっとも要だと感じるからでございます。
そしてそのエロスの猥褻性がなぜ忌み嫌われ羞恥心を呼び起こしそれゆえ罪悪視されるのか―
この不可解さが私をこだわらせるようなのでございます。
そしてその「わいせつ」ゆえに創作を規制あるいは弾圧される理不尽が我慢ならないのでございます。
もしかしたらエロのことが(私自身も含め)よくわかっていないので、
恥ずかしいから悪!と、その自分が感じる羞恥心と対峙せず「わいせつ」などという言葉を被せているのではないかとさえ思うのです。
精神分析のフロイト博士が看破したように、エロスは人間精神を支配する底知れぬエネルギーでございます。
このエロを創作のテーマにするからにはよほど腹をくくって掛からなければなりますまい。
ですのでそう考えている私にとっては「わいせつだから罪悪」という感性がまったく理解できないのです。
どうやらこれから先、まだまだ「わいせつ」とやらと付き合っていかなくてはならないようでございます。


2013-03-05(Tue)

わいせつについて~【“猥褻(わいせつ)”の定義】②

私は思うのですが、もともと“わいせつ”などというものは定義など出来ないのではないでしょうか。
上の三要件のうち特に「善良な性的道義観念」というのが分かりません。
エロに善良な道義観念、邪悪な道義観念などがあるのでしょうか。
それからよく耳にするのが「これはエロか芸術か」という言葉で、
裁判などではそれが争点になる場合も多いようでございますが、
この“芸術”というやつもわいせつと同じぐらいに定義不能なあやふやなものでございます。
以前にも書いたことがございますが私はミュシャの作品はエロだと思っております。
エロスとかエロティックという表現ではなく、まさしくイヤらしいスケベなエロ、抜けるエロさという意味でございます。
また逆に江戸春画などは美しいと思うのですが世間的には“わいせつ”の烙印を押されているようでございます。
街を歩くミニスカートの女性は「徒に性欲を刺激・興奮」させていますし、
SEXは二人だけで隠れてすれば愛と讃えられますが街なかでやれば「普通人の正常な性的羞恥心を害する」行為に変わります。
このような、個人個人の感性やその時の状況次第で変化する“わいせつ”などという正体不明なものは、
どだい定義付けなど出来ないと思うのでございます。
“芸術”も定義することは不能と申しました。
しかし定義できないからこそ、決まった「枠」がないからこそ芸術は芸術足りえるのでございます。
エロにもそれに共通するものを感じます。
決まった枠などに一切はめることができない底の無さがエロスの力と可能性ではないでしょうか。
このようなものを枠にはめ込もうと定義付けするなど愚かなことだと思うのでございます。
2013-03-03(Sun)

わいせつについて~【“猥褻(わいせつ)”の定義】①

「わいせつ」とは何か?
つまり日本において法の下に処罰されるところの猥褻性のことであります。
もっぱらネット上ではありますがいろいろ調べておりますと、
わいせつの定義として3つの要件があることを知りました。
もちろんこれは法的な意味でございます。
この「わいせつ三要件」が生まれたのは1951年、
「サンデー娯楽事件」といわれる裁判での事だということでございます。
以下、ウィキペディアから。

************************
―サンデー娯楽事件―
サンデー娯楽事件(サンデーごらくじけん)とは、
俗に「カストリ雑誌」と呼ばれた粗悪な娯楽雑誌の一つ、「サンデー娯楽」のわいせつ性が問題となった事件である。
最高裁は、1951年(昭和26年)5月10日、この事件で、
《徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する》
文書が刑法175条の猥褻文書であるとする基準を採用し、
「サンデー娯楽」のわいせつ性を肯定した(刑集5巻6号1026頁)。
************************

つまり「わいせつ三要件」とは、

 1.徒に性欲を刺激・興奮させること
 2.普通人の正常な性的羞恥心を害すること
 3.善良な性的道義観念に反すること

ということなのでございます。
私は初めこれを読んだとき、
正直に言いまして何のことやらさっぱり分かりませんでした。
いえ、正確に表現しますと、
「わいせつ」というものがボンヤリとぼやけて感じられたのでございます。
どうでございましょうか、
随分と抽象的で場合によってどのようにも解釈できる表現だと思われないでしょうか。
私はこの時の最高裁裁判長が力不足だったとか法的に平等性を欠いていたとか思いません。
逆にこのあやふや性は正直な表現だと思うのでございます。
プロフィール

歓喜天翁

Author:歓喜天翁
FC2ブログへようこそ!
自作のエロ画春画を中心に、その他エロに関わることを載せていく所存でございます。
貴方様の心の憩いの場になりましたら嬉しゅうございます。
Email address:kanki330-tennou@yahoo.co.jp

アルバム
歓喜天翁平成春画帳
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
FC2カウンター
リンクブログ様
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR