2013-03-29(Fri)
マルキ・ド・サド『ソドムの百二十日』 ②
この作品は「序文」「第一部」「第二部」「第三部」「第四部」という構成になっております。
サドという人物はその名がSMのSの語源になった人物でありまして、
その猟奇的変態的行為によって、社会制度や時代もありますが一度は死刑判決を受けた程の半生を送っております。
サドは二十代の頃から逮捕されたり投獄されたりして人生の最期はシャラントン精神病院だったそうでございます。
この『ソドム』はサドが45才の頃、
当時投獄されていたバスティーユ監獄のなかで看守の目を盗みながら書かれました。
「序文」の中で非常に感銘を受けた部分がございます。
それはこの物語の中心人物、精力絶倫で極悪非道のブランジ公爵がのたまう科白でして、
おそらく著作権的には問題ないでしょう、余りに感動的なのでここにその一部を転載させていただきます。
**********************************
公爵は常々語っていました。
「人間がこの世で本当に幸福であろうとするならば、一切の悪徳に身を任せるだけではなく、自分に対してたった一つの美徳も許してはならないのだ。
常に悪事を行うように心掛けるばかりではなく、決して善を行わないということが肝腎だ。
世の中には、普段美徳を行うことを心掛けながらときたま情欲に駆られて悪の道に引きずり込まれてしまう人間がいるが、
そうした人間の魂は過ちから醒めるとたちまち平安に戻り、又無事平穏に美徳の道を歩み直してしまうのだ。
だから、彼らは善と悪との戦いから過ちへ、過ちから後悔へとさまよい歩いて、最後には、自分はこの世でどんな役割を果たして来たのかをも正確に言い切ることもなく死んでしまうのさ。
そんな人間は不幸に決まっているよ。
いつもふらふらし、いつも迷って、朝になると昨夜のことを嫌悪して一生を終わってしまうだけなのだ。
そうした連中は、例え快楽を味わっても必ず後悔するのがお定まりだから、快楽に身を任せながら絶えず震えているのさ。
ちょうど、悪事を行いながら善人になってしまい、善を行いながら悪人になってしまうようなものなのだよ。
私の性格はもっと強いから、私は決してガタつきはしないね。何を選ぶか決して迷いはしないね。
自分のすることには必ず快楽が伴うものだと確信しているから、後悔して快楽の味を薄めてしまうような馬鹿げた真似はしないよ。…(後略)」
(佐藤春夫訳『ソドムの百二十日』より)
サドという人物はその名がSMのSの語源になった人物でありまして、
その猟奇的変態的行為によって、社会制度や時代もありますが一度は死刑判決を受けた程の半生を送っております。
サドは二十代の頃から逮捕されたり投獄されたりして人生の最期はシャラントン精神病院だったそうでございます。
この『ソドム』はサドが45才の頃、
当時投獄されていたバスティーユ監獄のなかで看守の目を盗みながら書かれました。
「序文」の中で非常に感銘を受けた部分がございます。
それはこの物語の中心人物、精力絶倫で極悪非道のブランジ公爵がのたまう科白でして、
おそらく著作権的には問題ないでしょう、余りに感動的なのでここにその一部を転載させていただきます。
**********************************
公爵は常々語っていました。
「人間がこの世で本当に幸福であろうとするならば、一切の悪徳に身を任せるだけではなく、自分に対してたった一つの美徳も許してはならないのだ。
常に悪事を行うように心掛けるばかりではなく、決して善を行わないということが肝腎だ。
世の中には、普段美徳を行うことを心掛けながらときたま情欲に駆られて悪の道に引きずり込まれてしまう人間がいるが、
そうした人間の魂は過ちから醒めるとたちまち平安に戻り、又無事平穏に美徳の道を歩み直してしまうのだ。
だから、彼らは善と悪との戦いから過ちへ、過ちから後悔へとさまよい歩いて、最後には、自分はこの世でどんな役割を果たして来たのかをも正確に言い切ることもなく死んでしまうのさ。
そんな人間は不幸に決まっているよ。
いつもふらふらし、いつも迷って、朝になると昨夜のことを嫌悪して一生を終わってしまうだけなのだ。
そうした連中は、例え快楽を味わっても必ず後悔するのがお定まりだから、快楽に身を任せながら絶えず震えているのさ。
ちょうど、悪事を行いながら善人になってしまい、善を行いながら悪人になってしまうようなものなのだよ。
私の性格はもっと強いから、私は決してガタつきはしないね。何を選ぶか決して迷いはしないね。
自分のすることには必ず快楽が伴うものだと確信しているから、後悔して快楽の味を薄めてしまうような馬鹿げた真似はしないよ。…(後略)」
(佐藤春夫訳『ソドムの百二十日』より)