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2013-02-26(Tue)

わいせつについて~【刑法第百七十五条】③

真面目な話、いま私の部屋に警察が踏み込んできてパソコンその他を押収され、
裁判で私の作品が“わいせつ”であると判断されたら私は犯罪者となるのでございます。
しかし今の段階ではおそらくそういうことはないだろうとは思っております。
エロ画を描いてネットにアップしている人はおそらく何万とおられるでしょうし、
IT関係だけでなく雑誌やAVその他も対象なのですから私のような小さい個人に手を掛けることはないと思われます。
ただ図象として性器を描いておりますから、何らかの理由で逮捕される可能性はあります。

この条文においてもっとも重要なのは「わいせつな」という言葉でございましょう。
罪に問われるかどうかは、対象となるものが「わいせつ」かどうかに掛かっているのでございます。
「わいせつ」とは何なのでしょう?
「わいせつ」はそんなに罪悪なのでしょうか。
そうだとしたら「わいせつ」の何が罪悪なのでしょうか。
エロそれ自体が罪悪ならSEXは最大の罪でございます。
本当に私にはエロの何が罪悪なのか、さっぱり分からないのでございます。


2013-02-24(Sun)

わいせつについて~【刑法第百七十五条】②

改正後の刑法175条は―つまり現在適用されている刑法175条は、
私のようにパソコンでエロ画を描き、それをネットにアップしている者つまり、
“わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列”している者にとって、
ドンピシャリの条文なのでございます。
他人事ではございません、「オレはエロ画なんか描いてないから大丈夫」という貴方、
“電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した”つまり、
パソコンで何か“わいせつ”な絵、文章、写真などを送信したことはございませんか?
あるなら同罪でございます。
「オレはエロなんか創作してないし他人のものであれエロを送信したこともない」という貴方、
第2項“前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した”つまり、
パソコンの中にエロを保存したり“わいせつ”なモノを所持しておりませんか?
私の作品をダウンロードしているなどもっての外でございます。
“有償で頒布する目的”ではないから大丈夫?
本当にそうでしょうか?
売るつもりがなかったと、どうやって証明できるのでしょうか。
読んでお分かりでございましょうが、条文というものは抽象的でいかようにも解釈できるものなのでございます…

…と、もちろんこれは少しオーバーに書いておりますがしかしあり得ないことではないのです。
2013-02-23(Sat)

わいせつについて~【刑法第百七十五条】①

いわゆる“わいせつ罪”のうち、
私などエロ創作者にとってもっとも重要になる条文でございます。
刑法の百七十五条《わいせつ物頒布(はんぷ)等の罪》でございます。
(わいせつ物頒布等の罪には、わいせつ物頒布罪、わいせつ物陳列罪、わいせつ物販売目的所持罪が含まれる。
頒布とは有償・無償問わず、不特定多数への交付を意味する。
「公然と陳列」するとは、不特定多数が認識できる状態にすることを意味する。
販売目的所持とは、販売目的で自己の支配下に置くことを意味する。―ウィキペディアより)

この条文は平成23年に改正されております。

******************
刑法第百七十五条 (わいせつ物頒布(はんぷ)等)

改正前:
「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、
2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。
販売の目的でこれらを所持した者も、同様とする。」

改正後(平成23年7月14日から施行): 
「(第1項)わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、
2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
電気通信の送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。
(第2項)有償で頒布する目的で、前項の物を所持し、又は同項の電磁的記録を保管した者も、同項と同様とする。」
******************

改正前と改正後の何が違うかは一目瞭然でございましょう。
そう、もっぱらコンピューター、ネット、IT対応の改正でございます。
2013-02-17(Sun)

【少年に後ろから母乳を絞られる若妻】

【少年に後ろから母乳を絞られる若妻】
これは少し以前に描きましたまだ自分のマンネリズムに苦しんでいた時期の作品。
下描きで放り出していたものを復活させたものでございます。

**********

ついに自分を抑えることが出来ず後ろから若妻に襲いかかってしまったのは中学生の少年。
場所は同じマンションの隣、若妻宅の部屋でございます。
性に目覚めて2年、妄想で頭がいっぱいのこの少年に、
隣の若妻が夜の声を毎夜聞かせるのですから酷というものでございますね。
そして今日はこの若奥さん、牛の模様にも見えるタイトな服装で学校から帰宅した少年の目を惑乱いたします。
子供を産んだばかりの、母乳ではち切れんばかりに膨らんだ巨乳。
タイトなスカートを破らんばかりの巨尻。
理性を失った少年は御近所の気安さを装い「赤ちゃんを見せて」と若妻の部屋に上がり込み、
そして突然襲いかかります。
右手でTバックのパンティーの後ろから若妻の秘所に中指を挿入、
締め付けてくる熱い蜜壺の中をかき回し、
左手で掌からはみ出す巨乳を揉みしだき大きな乳首をまさぐり、
そして母乳を絞り出します。
若妻は拒絶するどころか喘ぎながら自らその巨尻を少年の方へ突き出します。
どうやらこれは若妻の思う壺だったようでございます。
ただこの少年の童貞を奪うはずだった若妻の思惑は外れました。
なぜなら少年は堪らずこのままズボンの中でイッてしまったのですから。

**********

どうでございましょう、私はこのような妄想をいたしましたが皆様はいかがでございましょうか。
ご自分に合った飛び切りいやらしいストーリーを考えてこの絵を愛でて頂ければ嬉しゅうございます。
2013-02-15(Fri)

日記~【妄想現代エロ画展】

昨日はずいぶん暖かかったのですが本日は一転、
とても寒うございますね。
皆様に於かれましては風邪など引かれませぬよう。
あと少しで春でございます。
さて、先日の日記のせいで「現代エロ画展」の妄想が膨らんでしまいました。
今夜はその私の夢を。

**********

その美術展では上等の美酒と料理も味わうことが出来ます。
いえ、客達はテーブルに着いて料理と酒を味わい、
感想や批評をしながら絵を観るのです。
何という至福でしょう。

「君、あのA氏の作品を見給え。あそこに描かれた熟女のヒップが僕は大好きなんだ。
あのライン、あのボリューム、あの質感。中国の壺に勝るとも劣らない美しさだ」
「まったく熟女の尻にかけてはA氏の右に出るものはいませんからね。
ところで私はB氏の柔肌の表現が最近気になっています。
何だか光り輝いているようで、レンピッカや藤田嗣治を超えていると思いませんか?」
「オレは断然C君の抽象表現が気に入ってるんだ。
カンディンスキーは音楽を抽象絵画で表現しようとしたが、
今まで抽象的に表現されて尚且つ最高にエロいなんて絵画があったかい?」

どうでしょう、こんな素晴らしい展覧会に参加してみたいとは思いませぬか。
しかしエロがエロである限り、まず実現は無理なように思います。
エロは深層心理に触れるもの、そのために社会からタブー視されていると私は考えております。
エロは日陰の存在。
いやしかし…ならば日陰でなら実現できるのでは?
いえ、もうすでに実現されているかもしれません。
参加者はハイソな人物ばかりに違いない。
そしてあの大物も…
いやいやこれ以上の妄想はもう止めておきましょう(笑)

************

こんな話を書いておりましたらふとこの言葉を思い出しました。
「うつし世は夢。夜の夢こそまこと」―江戸川乱歩


2013-02-11(Mon)

日記~【わくわくドキドキ、そしてエロ】②

ただのもろ出しのそのまんまなエロではなく、
その人がどのようにエロを表現しているのか、どんな表現をされたエロがそこにあるのか―。
そこに興味があるようなのでございます。
そしてそのように表現されたエロ、人によって捉えなおされたエロ、
それこそが「エロス」なのではないか、そう思ったのでございます。
ですからそこに表現されたものがどんなに下劣なエロであっても人によって表現された創作物ならすべからく、
それはエロスであると言っていいのかもしれません。
美術館で例えば「現代風景画展」といったものがあっても私は、
「いったい“風景”が作家たちにどのように表現されているのだろう」などという興味は微塵も持ちませんが、
「現代エロ画展」があれば飛んで参ります。
そこにはきっと様々な作家たちによる「エロスの饗宴」があることでしょう。
風景画展ならたぶん、観賞者の興味は風景ではなく作家の方にあるのではないでしょうか。
客達は描かれた「風景」を見たいのではなく「作家の作風」を見たいのです。
エロ画展なら、もちろん作家たちにも興味はありますがそれとは別に「エロス」に興味があると思われませぬか。
様々な作家たちにエロがどう表現されて「エロス」と変貌しているか。
考えただけでわくわくドキドキするのでございます。

現在、一枚の絵を描いておりますが、
「スタイルを変えるのではなく、追求する」と悟ったので時間を掛けてじっくり描いております。
我ながら今までとは違う出来になっていると思います。
今までは少しでも早くアップするために突っ込んで描き込んでなかったと気付きました。
早描きは早描きの良さもありますが。
今しばらくお待ちください。
皆様にこの作品がわくわくドキドキしながら待って頂けたなら望外の幸せでございます。


2013-02-09(Sat)

日記~【わくわくドキドキ、そしてエロ】①

めっきり、わくわくドキドキすることがなくなりました。
子供の頃はおもちゃの箱を開けるとき、いつもわくわくしたものでございます。
テレビでお気に入りのアニメを観る時は番組開始のカウントダウンをしておりました。
思春期になって小説を読むようになれば、
大好きな作家の新しい本を開くとき「ここには何が書かれているのだろう」と凄い期待感に包まれたものです。
そんな活き活きとしたわくわくドキドキ感が私の場合、エロに関してはまだ残っております。
それは現実の女性との関係にではなく、エロに関する創作物に対してなのでございます。
例えばAVのパッケージを開ける時、また、エロ雑誌のページを開く時。
そしてエロ画を視る時。
エロ創作物に対するこれら好奇心は他のものとは少し違う、
心の本性から来る野性的なと言っていい好奇心のようにも思えるのでございます。
それはただの助平心でもありませぬ。
興奮はそのあとに来るものでございまして(AVの場合ならそれを観ている最中)、
わくわくドキドキはその前、それを知る前の心の状態であります。
なぜ自分がエロ創作物に特別なわくわく感を持つのだろうかと考えました。
そしてそれは「この作品(作者)はエロスをどんな風に表現しているのだろう」という興味だと気付いたのでございます。
2013-02-01(Fri)

日記~【自分の絵のスタイルを変える必要はない、と教えてくれたピカソ】②

だからピカソはモチーフやテーマに束縛されず自由にスタイルを変えれたのではないか。
いや、変えることが必然だったのだ、「絵」のために絵を描いているのだから。
そう考えたとき目の前が開けたような気がいたしました。
私はピカソと違って「エロ」が描きたい。
私は自分のエロスを表現するために絵を描いているのだ。
そのエロスを最高の形で表すのが私の絵なのだ。
だからスタイルなどもともと簡単に変えられるわけがなかったのだ、
自分のエロスを表現するために常に全力を尽くしているのだから―。

そのとき私は、自分の絵のスタイルを無理やり変える必要などない、ということに気付いたのでございます。
おそらく私は自分の絵のマンネリズムから逃げていたのでしょう。
絵のスタイルを変えればそれが解決できると浅はかにも考えていたのでございます。
マンネリを打破するためには逃げていたのでは何も変わらない。
元に戻ってただ無自覚に描くのではなく、自分の絵のスタイルを「追求」しよう、と思いました。
するとまるで、それまで自分の絵に背を向けて逃げていた自分が、
くるりと絵に向かって突き進んでいくかのように感じられたのでございます。
ピカソについて私が考えたことは全然見当違いの的外れかもしれません。
しかしそれでも構わないのです、現に私はそのお陰で進むべき方向を見出したのですから。

澁澤龍彦『快楽主義の哲学』にアンドレ・ジイドからの
「幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福が僕の中に棲みはじめた」
という引用文がございます。
自分の絵のスタイルから逃げずに追求していったなら、
「絵のスタイルを変える必要なんかありはしないと気付いた日から、僕の絵が変わり始めた」
となる可能性もなくはない、と思うのでございます。


2013-02-01(Fri)

日記~【自分の絵のスタイルを変える必要はない、と教えてくれたピカソ①】

数ヶ月前から自分の絵にマンネリを感じてそこから脱却したいと悩んでおりました。
この、マンネリに対する嫌悪感は私の絵を視ていただく方々に対する気遣いなどではなく、
私自身がただただ自分の絵に絶望に近いものを感じていたのでございます。
最近も何枚か絵を描きましたが、「また同じだ」という思いから下描きの段階でペンが止まってしまいました。

昨夜のことでございます。
深夜に目が覚めてまた悶々と絵のことを考えておりました。
なぜ自分の絵のスタイルが変えられないのか―。
ふと何となく、めまぐるしい程に絵のスタイルを変えたピカソのことを思い出しました。
ピカソはなぜあれほどに絵のスタイルを変えたのか、変えることが出来たのか―。
そして思ったのでございます、ピカソは絵のための絵を描いていたのではないだろうか、と。
ピカソの絵を観ていると、
造形的な革命や実験的な描き方をしているとは思いますが描いているモノは、
人物画、静物画、闘牛、空想画などなど雑多で、
「これが描きたい」というものが無いように感じられるのでございます。
女やバイオリンなどの対象(モチーフ)はただピカソの絵の実験のための生贄であって、
ピカソにとって大事なのは「絵」そのものだったのではないでしょうか。
プロフィール

歓喜天翁

Author:歓喜天翁
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自作のエロ画春画を中心に、その他エロに関わることを載せていく所存でございます。
貴方様の心の憩いの場になりましたら嬉しゅうございます。
Email address:kanki330-tennou@yahoo.co.jp

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歓喜天翁平成春画帳
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