2015-09-09(Wed)
あなたの脳幹を直撃する~平成/令和春画*歓喜天翁ブログ~
歓喜天翁と申します。ひたすら文句なしに極上のエロ画を目指して参ります。ご意見、御感想を頂けたら嬉しゅうございます。
2015-09-02(Wed)
【蚊帳の中~叔母に夜這いを掛ける甥之図】
今回は私、歓喜天翁がこの艶露絵の絵解きをいたしましょう。
時は明治時代、豊満な肉体を持つお鈴は31歳の年増でございます。
姉の息子つまり甥の馬太郎をしばらく預かることになりました。
この馬太郎、当年とって15歳の子供でございますがどうにもやんちゃ過ぎて、
躾に厳しい軍人の夫を持つお鈴の所へ連れて来られたのでございます。
さてさて余計な説明は省きまして、早い話がお鈴の夫が帰らなかったある晩、
この悪たれの馬太郎が事もあろうに母親の妹のこのお鈴に夜這いを掛けたのでございます。
蚊帳の中でお鈴は躰に晒(さらし)を巻いただけの姿で横になっておりました。
まだ見た目にはわかりませぬが四人目の子供を身篭ったばかりでございます。
おや、どうやら悪たれの馬太郎が息を潜ませてお鈴の寝ている蚊帳の中に忍んできたようでございます。
ああ皆様、お笑い下さらぬようにお願いいたします。
歓喜天翁のいつものパターン、そう、この熟れきった躰を持つお鈴も馬太郎を待ち焦がれていたのでございます。
なぜならば、馬太郎の恐ろしく大きな男根を彼が風呂に入るときにチラリと思わず目にしてしまったのでございます。
…いやこれはおそらく馬太郎の作戦だったに違いありません。
蚊帳の中に入った馬太郎を襲ったのはお鈴の躰から漂う強烈な女の匂いでございました。
それは主に彼女の子宮から発せられた男を求める匂いでございます。
その匂いに包まれた途端、馬太郎の巨根は褌(ふんどし)の中でいきり勃ち、たちまち鉄のようになりました。
一瞬にして獣と化した馬太郎は狸寝入りをしている叔母に襲いかかったのでございます。
ぐいと晒を押し下げれば、ぶるん、とまろび出る叔母の大き過ぎるほどの乳房。
馬太郎の手の中にはとても収まりきらないその巨乳にはこれまた特大の乳首がすでに固く勃起しております。
まるで名前の通りに鈴のように大きくなっている叔母の乳首を口に含みあるいはまた指で弄ぶ馬太郎。
まだ童貞の、しかし大人の男以上に立派な己の一物を叔母の下腹部へ押し付け、
お鈴の脇毛を、顔を、乳を、鼻息荒く夢中で舐め回しております。
夫の四人目の子供を孕(はら)みながら実の甥の一物を求めるお鈴は、
両足を大きく開きどろどろに濡れきったおまんこを馬太郎に見せつけ「早く早く」とせがむのでありました。
辛抱たまらぬ馬太郎、褌から鬱血しきった己が魔羅を苦労して取り出し、
お鈴のいやらしくも可愛いおまんこの中へぬらりぬらり、ずぶずぶ、とついに差し入れてしまいました。
指を噛んで声を上げるのを我慢していたのもつかの間、尻を馬太郎に預けたお鈴、甥の激しい腰使いにたちまち嬌声を上げ始めます。
「ああっ、馬太郎ッ、す、凄い、大きいっっ、ああン、ダメダメダメぇ、叔母さんのおまんこがっ、こわれちゃうッ、おまんこ壊れるっ、あああああああアあアあああああああああああっ、いくイクいくイクいくいくうぅううっっぅうううぅうぅぅぅっっっ!!!」
すでに叔母の中にいる胎児を己の大魔羅で突き出して自分の子種を植え付けようとするかのごとく激しくお鈴の中を突きまわす馬太郎、
ついに大量の精液をお鈴の子宮に浴びせかけ彼女の中に収まりきらぬ愛液とザーメンは、蚊帳の中でその床を濡らし続けるのでありました…。
(完)
2015-08-25(Tue)
【残暑お見舞い申し上げます】
お久しぶりでございます、歓喜天翁でございます。
ずいぶん長い間このブログから遠のいておりました。
この間まったくエロい気持ちになれず作品もまったく描く気になれませんでした。
「もう本当に俺は終わってしまったのだ」と絶望しておりましたが、
最近すこし暑さが和らいでくるとさっそく私の中のエロが蘇り描かずにはいられなくなりました。
いま新作を制作中でございます。
相も変わらずの内容でございますが良い感じで進んでおります。
近日アップいたします。
御笑覧頂ければ幸いでございます。
歓喜天翁
ずいぶん長い間このブログから遠のいておりました。
この間まったくエロい気持ちになれず作品もまったく描く気になれませんでした。
「もう本当に俺は終わってしまったのだ」と絶望しておりましたが、
最近すこし暑さが和らいでくるとさっそく私の中のエロが蘇り描かずにはいられなくなりました。
いま新作を制作中でございます。
相も変わらずの内容でございますが良い感じで進んでおります。
近日アップいたします。
御笑覧頂ければ幸いでございます。
歓喜天翁
2015-07-06(Mon)
RT 20150706
もうすぐ逮捕一周年。
振り返ると、人生であんなに毎日生き生きとした体験は初めてでした。
男性社会の最たる権化から求められたわたし、
それはどんなにひどいDV男との恋愛体験をもしのぐ興奮度で、もはや普通の恋愛がつまらなくなってしまってどうしたらいいのかわかりません…
〈ろくでなし子氏 ツイッターより〉
振り返ると、人生であんなに毎日生き生きとした体験は初めてでした。
男性社会の最たる権化から求められたわたし、
それはどんなにひどいDV男との恋愛体験をもしのぐ興奮度で、もはや普通の恋愛がつまらなくなってしまってどうしたらいいのかわかりません…
〈ろくでなし子氏 ツイッターより〉
2015-05-03(Sun)
日記~【歓喜天翁、迷走す】
描けば描くほど「ちがうちがう」と思ってしまうのでございます。
この二枚の絵(無題1505031、1505032)にしましてもなんと酷い出来でございましょう。
しかし私は絶望はしておりません。
必ずやこの壁を乗り越えてみせる所存でございます。
これはスランプなどではございません、壁、でございます。
ここで負けるわけには参りません。
新しい艶露絵のために、私自身の新しい表現のために。
この二枚の絵(無題1505031、1505032)にしましてもなんと酷い出来でございましょう。
しかし私は絶望はしておりません。
必ずやこの壁を乗り越えてみせる所存でございます。
これはスランプなどではございません、壁、でございます。
ここで負けるわけには参りません。
新しい艶露絵のために、私自身の新しい表現のために。
2015-04-21(Tue)
映画~『エマニエル夫人』(1974)
この映画が公開され日本でも大ヒットした時、まだ私は性に目覚めたばかりの子供でしたので、
内容も知らないのに長らくこの作品に対する印象は「とてもHな映画」というものでございました。
20年ほど前でしたでしょうか、まだVHS全盛の頃にビデオで初めて鑑賞いたしましたが、
あのボクサーに後ろからされるクライマックスシーン以外ほとんど内容は忘れてしまいました。
今回ふと観てみたくなりレンタルしまして久し振りに鑑賞いたしました。
貞節な妻が夫や社交界で知り合った人物たちに導かれて性の遍歴をし、自分に目覚めていく姿を描いた作品でございます。
タイが舞台ということもあってか、フランス映画でありながらずいぶん東洋的な雰囲気が漂う内容でございまして、
それは随所で性に関する哲学的な台詞が交わされるせいでもありましょう。
20年前の私はAVを観るようにただただエロ目当てで観たのか何もわかっておりませんでした。
現在の私にはこの作品はエロスを通して何かに到達しようとするエマニエルの姿を借りたセクソロジーの映画に見えるのでございます。
エロを表現することに自分を捧げた今だからこそこの映画の内容がようやくわかるようになった気がするのでございます。
この映画の秀眉はどんどん自由になっていく彼女自身そのものでございましょう。
初めは保守的常識的で貞節な妻だった彼女が性を探求し自由になっていく姿そのものでございます。
ただいやらしいだけ、ただ助平なだけ、ただ興奮するだけ、ただエロなだけ、ただセックスするだけなら動物や虫にも備わった能力でございます。
われわれ人間はこの性の情動に、このエロスの中に人間存在の重大な何かを感じて絵にしたり映像にしたり音楽にしたりして探求するのでございます。
そしてエマニエルのように行動そのもので。
そういった内容であるからにはこの映画そのものも自ずと革命的でなくてはなりません。
私はいわゆるノーカット版で観ましたが、
たとえばこの作品が自主規制的にヘアーを隠したりセックスシーンを生半可に表現していたとしたらどうだろうと想像いたしました。
それはもうその時点で作品として失格でございます。
そんな常識に縛られた表現をしては人間性の探求を謳った内容にぜんぜん説得力が無くなるからでございます。
こういうところからも表現規制の不条理を理解できるのではないでしょうか。
エマニエル夫人、いろいろと教えられる映画でございます。
2015-04-08(Wed)
『歌麿の謎 美人画と春画』
2005年刊。
歌麿の春画・美人画を分析考証評論した内容でございますが比較的軽い内容で、
初心者でも容易に読める本でございます。
私は浮世絵師の中では北斎に心酔しており歌麿にはそれほど興味がありませんでしたので、
その作品や生涯をよく知りません。
しかしこの本を読んでなぜ歌麿が浮世絵春画を代表する絵師になったのか少し分かった気がいたしました。
北斎はじめ他の絵師たちにとって春画はあくまで作品ジャンルの一つに過ぎない感がございますが、
歌麿は己の本道として全てを春画に懸けていたように思えたのでございます。
寛政二年(1790)「寛政の出版取締令」から始まり何度も春画など表現物の取り締まりがあるのですが、
歌麿はその都度このお上の取り締まりに歯向かったようでございます。
しかしついに50日間の手鎖の刑となりその2年後に没します。
「歌麿はレジスタンス(抵抗運動)として美人画を描き続けた」との一文があり、
私にはその気持がよく分かるのでございます。
エロ(春画)には自ずと革命性があります。
それはタブーゆえに持ち得るエロの宿命ともいえましょう。
200年前エロに命を懸けた歌麿を拝して私も及ばずながら後に続く所存でございます。
2015-04-03(Fri)
【アイドルと敏腕プロデューサー】(未完)
2015-03-24(Tue)
春画・4~【喜多川歌麿『歌満くら(第一図)』】〈追記〉
先の『歌満くら(第一図)』の文章で「岩の上の海女が…笑っている」と書きましたが、
河童に襲われている仲間?を笑いながら見ているというのはやはりおかしいと思い画集の図版を再確認いたしましたら、
少し慄いているようにさえ見える真面目な表情をしているようでございます。
口元に手を当てているので「おほほ」と笑っているものと早合点してしまいました。
この手は怯えている動作でございましょう。
水中で一人の海女が二匹の河童に襲われそれをもう一人の海女が見ている、
というこの構図が私には不自然に思えてなりませんでしたが、
岩の上の海女が慄きながら水中の惨事を眺めているとすると―ここからは私の勝手な解釈でございますが…
水中で漁をしていた二人の海女が二匹の河童にそれぞれ襲われるも、
海女の一人は河童から逃げおおせて岩の上に上がり、
自分を襲った河童ともども二匹の河童に襲われることになった同僚を恐怖と罪悪感の混じった気持ちで眺めている…。
と見えて得心がいったのでございます。
これならば襲っている河童が二匹なのも、岩上の海女が惨事を眺めているのも納得できましょう。
しかしながら私は個人的に密かに空想を巡らしております。
私にとって河童は死の象徴でございます。
そういう目でこの絵を見ますと…
水中で河童(死)に襲われ今まさに溺れ死なんとする海女、
その姿をもう死んでしまった同じ海女(の霊魂)自身が眺めている…。
と、いう解釈も可能ではないでしょうか。
歌麿が「それは違う」と言っても無駄でございます。
何故なら描かれてしまった作品は作者の手を離れて独立し自由な存在になるからでございます。
もっとも歌麿は自分の作品を囲いの中に閉じ込めるような無粋な真似は決してしないでしょうが。
さて、ならば私の『河童と海女』はどうでございましょう。
もちろんこの私の作品世界も皆様の手に委ねたいと思います。
ご自由に妄想を膨らませてくださいませ。
河童に襲われている仲間?を笑いながら見ているというのはやはりおかしいと思い画集の図版を再確認いたしましたら、
少し慄いているようにさえ見える真面目な表情をしているようでございます。
口元に手を当てているので「おほほ」と笑っているものと早合点してしまいました。
この手は怯えている動作でございましょう。
水中で一人の海女が二匹の河童に襲われそれをもう一人の海女が見ている、
というこの構図が私には不自然に思えてなりませんでしたが、
岩の上の海女が慄きながら水中の惨事を眺めているとすると―ここからは私の勝手な解釈でございますが…
水中で漁をしていた二人の海女が二匹の河童にそれぞれ襲われるも、
海女の一人は河童から逃げおおせて岩の上に上がり、
自分を襲った河童ともども二匹の河童に襲われることになった同僚を恐怖と罪悪感の混じった気持ちで眺めている…。
と見えて得心がいったのでございます。
これならば襲っている河童が二匹なのも、岩上の海女が惨事を眺めているのも納得できましょう。
しかしながら私は個人的に密かに空想を巡らしております。
私にとって河童は死の象徴でございます。
そういう目でこの絵を見ますと…
水中で河童(死)に襲われ今まさに溺れ死なんとする海女、
その姿をもう死んでしまった同じ海女(の霊魂)自身が眺めている…。
と、いう解釈も可能ではないでしょうか。
歌麿が「それは違う」と言っても無駄でございます。
何故なら描かれてしまった作品は作者の手を離れて独立し自由な存在になるからでございます。
もっとも歌麿は自分の作品を囲いの中に閉じ込めるような無粋な真似は決してしないでしょうが。
さて、ならば私の『河童と海女』はどうでございましょう。
もちろんこの私の作品世界も皆様の手に委ねたいと思います。
ご自由に妄想を膨らませてくださいませ。
2015-03-23(Mon)
春画・4~【喜多川歌麿『歌満くら(第一図)』】
春画はただ男女の交合のみではなく動物や妖怪などが女性とまぐわる構図も結構あり、
北斎の蛸と海女の作品がよく知られるところでございます。
この歌麿の作品は河童と海女でございまして、
水中で二匹の河童に陵辱されている海女をもう一人の海女が岩の上から見下ろしております。
少し不可解な構図に感じるのは、
岩の上の海女が水中の惨事を眺めているにしては笑っているからでございましょう。
さて、私が『河童と海女』を描くにあたってこの作品が頭にあったのは確かなのですが、
今あらためてこの歌麿の作品を確認してみると、
河童の表情や舌を出しているところ、また玉門にペニスを充てがっている構図など妙に共通する部分があるように感じまして、
200年以上の時を超えて歌麿とリンクしたような気がいたしております。
調べましたら河童というもののモデルには諸説いろいろあるようなのですが、
私が一番感銘を受けた説は「水死体説」でございます。
ウィキペディアに書かれておりますので興味がおありの方は御一読頂くとして、
なるほどさもありなんと思わされる説得力を感じます。
河童の元が「水死体」だとすると…河童は「死」の象徴ではないでしょうか。
いや、私はそう理解して『河童と海女』を描いたのでございます。
歌麿の“河童と海女”と、私の“河童と海女”…江戸と平成の違いを味わって頂ければ幸いでございます。