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2013-04-20(Sat)

マルキ・ド・サド『ソドムの百二十日』 ⑧

公爵の“訓示”は徹底的な女性蔑視から反抗的な無神論で締めくくられます。
科学的論理的な無神論などでは到底なく、
公爵の場合は神に対する憎悪が感じられるのでございます。
道徳的なもの、神聖なものには本能的に嫌悪感が沸くようなのです。


「前にも言った通り、宗教的な行為と思われるような行為はどんな行為でも一切禁止するぞ。
予め警告しておくが、宗教的な行為はあらゆる罪の中で最も厳しく処罰されるのだぞ。
何人かの馬鹿な女は神という恥ずべき観念を捨てる決心もつかず、
思い切って宗教を嫌う気持ちにもなれずにいるが、私はよく知っているよ。
私はきっぱりと言っておくが、そういう女は厳重に吟味するぞ。
もし運悪く現場を押さえられたら、死罪よりも恐ろしいどんなにひどい仕打ちが待っているか知れないぞ。
そうした馬鹿な女は早いところ料簡した方がよいな。
神の存在などという阿呆らしい観念にしがみついているのは、今日この世に二十ばかりの宗教に属している連中しかいないではないか。
彼らが頼りにしている宗教というものは偽善者達が発明したお伽話に過ぎないし、
我々を騙そうとしている意図があまりにも見え見えではないか。
自分でよく判断してみるとよい。
もし神が存在するとしたら、もし神が全能であるとしたら、神は、
神の栄光であり、お前達が誇りにしている美徳が犠牲に供されようとしているのを何故放置しておくのだろうか。
全能といわれる神は、俺のような一個の弱い被造者、神から見れば象の目の中にいるダニのような憐れな存在が、一日中、
神を侮辱し、挑戦し、無視し、反抗するのを黙って見ているのだろうか。
どうだ、お前達、そんなことがあるはずはないではないか。」


私はエロスをテーマにこの感想文を書いているわけでございますが、
公爵の女性蔑視や神に対する憎悪、
これらもエロスに深く根ざしていると感じるのでございます。
春画を発表し他人様に視て頂くようになってから私は真剣にエロスを考え始めました。
そうするとどうしても人間感情や心理、人間存在の本質に行き当たるのでございます。
私は現在ではエロスに、美と宗教と生と死を感じるようになっております。
この『ソドムの百二十日』は私に新しいエロスの一面を見せてくれるのではないだろうか―
この本は私にとって爆薬のような破壊力に満ちているのではないだろうか―
そんな予感がするのでございます。

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