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2013-04-18(Thu)

マルキ・ド・サド『ソドムの百二十日』 ⑦

「序文」の最後は、館内の女たちに対するブランジ公爵の“訓示”で終わっております。
開口一番、

「お前達は我々の快楽を満たすために鎖で繋がれている弱い存在なのだ」

という強烈な女性蔑視の言葉が発せられます。
この訓示では女性蔑視と、徹底的な無神論が述べられております。


「女のお前たちは世の中では呆れるほど絶対的な力を与えられてきたかもしれないが、
ここでもそんなものが与えられると思ったらとんでもない間違いだから、自惚れるのはいい加減にした方がよいな。
奴隷の千倍も従順になって、ありとあらゆる恥辱を覚悟するとよいのだ」

「我々はかつて美や神聖さに対して少しばかりお追従を言ったこともあったかもしれないが、
そんなものは元々大嫌いだから幻影が官能を満足させてしまうと、
自尊心と神を恐れない道楽精神が頭をもたげてきてそんな下らないものなどぶち壊してしまうのさ。
軽蔑と憎悪が心のなかに湧いてきて、想像によって作り出された魅力など追い払ってしまうのだ」

「我々の中で一番罪の軽い人間でも、お前達にはとても数え切れないほどの破廉恥な行為に汚れているのだ。
だから、そうした人間にとって一人の女の生命ぐらい、そうだ、地球上に住むすべての女の生命だってどうでもいいのさ。
一匹の蝿を殺すのと同じくらいどうでもいいことなのだ」

「もしお前達が不行跡を働いて我々を怒らせればどんな目に遭うか、今から覚悟しておくがいい。
それに、お前達の中には我々との人間的な絆を鼻にかけて大目に見て貰えるだろうと期待している女がいるかもしれないが、
そんなことを当てにしているととんでもない過ちを犯す事になるぞ。
我々のような人間にとって人間的な絆など少しも神聖ではないのだ」

「お前達はいつも震えて、我々の意向を察し、何事にも服従し、先を見越して行動すればよいのだ」

「要するに、我々はお前達を人間として見ているのではなく、動物として見ているのだ。
望みのままに奉仕させ、反抗するときには遠慮なく一発食らわせるのが動物に対する扱い方というものさ」


現在の社会ではまともに発せられる内容の言葉ではございません。
いやおそらく当時のフランスでもそうでございましょう。
しかしながら、これほどまでに徹底的な女性蔑視の文章を読んでおりますと、
逆に嫌悪感が湧いてこないから不思議でございます。
ここまで腹をくくって言葉を発せられると、
「そうか。それはそれで君の考えと感性だからな」と思ってしまうのでございます。
フェミニズムが有効なのは相手にいくらかでも言葉が届くからで、
こんな訓示を垂れるブランジ公爵にはフェミニズムなど鼻で笑われながら踏み潰されそうでございます。

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