2014-09-14(Sun)
日記~【私の中の女性性】
春画を描いている最中の私は猛烈な興奮状態にあります。
それは春画を描いている時にだけ訪れる興奮でございます。
それをずっと私は男性性の興奮だと疑う余地もなく思っておりましたが、
最近それはもしかしたら違うかもしれないと感じるようになって参りました。
例えば犯している男と犯されている女がモチーフの作品を描いていてもよく考えてみれば、
すべて私の空想で描いているわけですから犯されている女性も決して完全な客体ではありえません。
それを発見したのはある時、今までは100%男の立場で相手である女性を犯しているという感覚だったのが、
私自身が作中の犯されている女性になりきって女性のエクスタシーを感じているのに気付いた時でありました。
考えてみればそれは当たり前のことかもしれません。
作中の女性に感情移入出来なければエクスタシーに酔う女性など描けるわけがないのでございます。
また、女性の単体の作品にしても、女性の猥褻な躰を視たいという男の私の感情とともに、
「あたしの躰を見て!」という私の中の女が居る気がするのでございます。
理屈ではなく最近は、春画を描いていても「犯されている自分」を感じるのでございます。
私は至ってノーマルな性癖の持ち主の平凡な人間でございますが、
こと春画に関してはこの「自分の中の女」を強く意識した方が良いようでございます。
自分の中の男と女―陰と陽―を私は描いているのかもしれません。
それは春画を描いている時にだけ訪れる興奮でございます。
それをずっと私は男性性の興奮だと疑う余地もなく思っておりましたが、
最近それはもしかしたら違うかもしれないと感じるようになって参りました。
例えば犯している男と犯されている女がモチーフの作品を描いていてもよく考えてみれば、
すべて私の空想で描いているわけですから犯されている女性も決して完全な客体ではありえません。
それを発見したのはある時、今までは100%男の立場で相手である女性を犯しているという感覚だったのが、
私自身が作中の犯されている女性になりきって女性のエクスタシーを感じているのに気付いた時でありました。
考えてみればそれは当たり前のことかもしれません。
作中の女性に感情移入出来なければエクスタシーに酔う女性など描けるわけがないのでございます。
また、女性の単体の作品にしても、女性の猥褻な躰を視たいという男の私の感情とともに、
「あたしの躰を見て!」という私の中の女が居る気がするのでございます。
理屈ではなく最近は、春画を描いていても「犯されている自分」を感じるのでございます。
私は至ってノーマルな性癖の持ち主の平凡な人間でございますが、
こと春画に関してはこの「自分の中の女」を強く意識した方が良いようでございます。
自分の中の男と女―陰と陽―を私は描いているのかもしれません。