2014-02-14(Fri)
日記~【春画、脳内セックス、瞑想、その向こうにあるもの】
作品を描いているときはまるで桃源郷を彷徨っているような気分でございます。
女性の躰のラインや肌の質感、凹凸やヒップやバストのヴォリュームを手で撫でるように。
また一物を挿入している絵ならば自分が激しく攻めているかのごとく。
そして絵の中の女性が昇天しているそのエクスタシーに同化するのでございます。
私は春画を描いていてよく思います、自分は絵の中でセックスをしているのではないかと。
もちろん現実のセックスとは全然違う質のものでございますが、
春画を描いていて感じるエクスタシーは現実のセックスより直接エロスにアクセスしているのではないかと思うのです。
現実のセックスは身体的な五感と精神的な夾雑物を通してエロスにアクセスしますが、
春画を描いておりますとストレートにエロスに触れている気がするのでございます。
完全に自分の想像力だけの純粋な精神作用なので宗教の瞑想に近いのかも知れませぬ。
これはまったくの妄想ですが、ここにエロスと宗教の共通項があるのではないかと感じるのです。
その向こう側に何があるのかは分かりません。
ただ私は、私の絵を視てくださる方々がほんの少しでも桃源郷を感じてくださるよう描くのみでございます。
女性の躰のラインや肌の質感、凹凸やヒップやバストのヴォリュームを手で撫でるように。
また一物を挿入している絵ならば自分が激しく攻めているかのごとく。
そして絵の中の女性が昇天しているそのエクスタシーに同化するのでございます。
私は春画を描いていてよく思います、自分は絵の中でセックスをしているのではないかと。
もちろん現実のセックスとは全然違う質のものでございますが、
春画を描いていて感じるエクスタシーは現実のセックスより直接エロスにアクセスしているのではないかと思うのです。
現実のセックスは身体的な五感と精神的な夾雑物を通してエロスにアクセスしますが、
春画を描いておりますとストレートにエロスに触れている気がするのでございます。
完全に自分の想像力だけの純粋な精神作用なので宗教の瞑想に近いのかも知れませぬ。
これはまったくの妄想ですが、ここにエロスと宗教の共通項があるのではないかと感じるのです。
その向こう側に何があるのかは分かりません。
ただ私は、私の絵を視てくださる方々がほんの少しでも桃源郷を感じてくださるよう描くのみでございます。