2014-09-20(Sat)
日記~【これが私の生きる価値】
何度か書きましたが私は春画を思春期の十代から描き続けて参りました。
それ以来何十年、私はこれを忌まわしい悪癖と思い込み、
描いては止めようと思い止めようと思ってはまた描き、を続けてきたのでございます。
どこにも救いがない罪悪感と背徳感を感じながら春画を描いておりました。
ご理解頂けるでしょうか、心の底から忌まわしく思いそこから逃れたいと思うものに手を染めてしまう苦しみを。
処分し忘れた自作の春画を誰かに見つかりそうになる、という悪夢をよく見たものでございます。
私にとって自分の描くエロ絵は「絵」ではなくただの悪癖、としか認めておりませんでした。
ところが現在は否定しようのない自分自身の表現として春画を認めてきていることに気付いたのでございます。
それは皆様に喜んで頂ける作品を描こうという思いで春画を描いている自分に気付いたからでございます。
罪悪感と背徳感に苛まれながら誰かに見せるどころか必死に隠しながら、
自分自身の自己満足のためだけに描いていてはそんな思いは絶対に生まれるわけがなかったのでございます。
私が自分自身から救われるためには「表現」しなければならなかったのがいまやっとわかった気がいたします。
そして自分自身が救われるためには自分の力だけでは不可能なことも。
恐らく人間はそういう仕組みに出来ているのでございましょう。
私を救ってくださったのは私の「絵」を愛でてくださった皆様でございます。
これからも自分のためだけではなく、まず第一番に私の春画を楽しみにしてくださる皆様のために筆を執る所存でございます。
あれほど忌み嫌って何十年ものあいだ捨てようとしてきた自分の「悪癖」―春画―を、
いまでは「絶対に失いたくない」と考えている私でございます。