2012-05-23(Wed)
澁澤龍彦『エロティシズム』
エロティシズム (中公文庫) (1996/11) 澁澤 龍彦 商品詳細を見る |
エロスについて描くだけでなく、考え初めたのはネットに自分の作品を発表し始めた最近のことでございます。
このブログではそんなエロスについて読んだり考えたりしたことも載せていきたいと思います。
ご意見ご感想をお聞かせ願えれば嬉しゅうございます。
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澁澤龍彦のこの本は1967年に書かれたものですが、私が読んだのは1984年の中公文庫版でございます。
後半はややダレますが、前半はエロスについての入門書としては読みやすく秀逸な出来だと感じます。
澁澤龍彦は明晰な頭脳により膨大な資料からの引用によって、
対象のテーマを浮かび上がらせるといった手法が得意であります。
私もそれを真似て、あとはこの本からの引用としましょう。
下手な感想よりその方がよほどマシかと思われますゆえ。
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・愛欲の行為はそれ自体では別にエロティックではない。
そのイメージを喚起したり呼び寄せたり暗示したり、
さらにはそれを表現したりすることがエロティックなのである。(ロー・デュカ)
・エロティシズムについては、それが死にまで至る生の称揚だと言うことができる。(バタイユ)
・ごく簡単に割り切って言ってしまえば、
セクシュアリティとは生物学的な概念で、エロティシズムとは心理学的な概念である、
といえるかもしれない。
・バタイユが《悪魔的》という言葉を使ったのは、人間のみの活動であるエロティシズムが、
本質的に死と結びついていることを言わんがためであったと思われる。
・エロティシズムはあらゆる実用主義的な活動(生殖等、社会的活動)に対立するものであって、
ただそれ自体を目的とする狂気の欲望なのだ。
・人間の男性が女性に欲望を感じるための最も大きな働きを示すものは、
嗅覚でも触覚でも聴覚でもなくもっぱら目の働き、視覚である。
・人間は愛の行為においても生殖本能とは別の衝動、
つまり快楽の欲求によって動かされているのである。
・エロティシズムとは死に向かう暴力であり禁止に対する侵犯である、
という考えをバタイユはあくまで頑固に主張する。
・犠牲を捧げる男は短刀を持っており、女を征服する男はペニスを持っている。
殺戮の過程も肉欲の行為の過程も最後は常に対象の死、つまり肉の痙攣によって終わる。
・そして人間は…タブーを犯すことに純粋な満足を覚えるようになる。
重大なタブーを犯せば犯すほど性の満足は強烈になる。
正常は異常になり異常は正常になり、この文明の弁証法の内にエロティシズムは陶冶される。
・エロティシズムは瞬間の燃焼というよりもむしろ瞬間と永遠を一致させる試みであり、
日常的世界の外にあるエクスタシー(脱我)への希求であるからあくまで時間と秩序に対する敵なのである。